阿部村(読み)あべむら

日本歴史地名大系 「阿部村」の解説

阿部村
あべむら

[現在地名]高梁市落合町阿部おちあいちようあべ

下切したぎり村の成羽なりわ川対岸に位置し、市場いちば中組なかぐみ才原さいばら藤倉ふじくら小瀬おぜなどの集落がある。成羽川は村の東端松山まつやま(現高梁川)合流しており、高梁川対岸の松山東まつやまひがし村の青木あおきから渡船で渡った成羽往来が、成羽川北岸を西に向かう。この渡しを阿井あいの渡といい、古くからの交通の要地で、天正六年(一五七八)尼子氏の旧臣山中鹿之介幸盛が護送中に毛利氏の家臣に殺された所である。福間氏合戦覚(萩藩閥閲録)はそのときの様子を、「山中鹿介をあいの渡りにて被仰付候時、鹿介浅手を負、川中飛込、向之地へ取渡り可申体ニ相見へ候時、一番に川へ追付飛込、川中にてくミ候て鹿介頸取申候」と記している。


阿部村
あべむら

[現在地名]桜井市大字阿部・安倍木材団地あべもくざいだんち一―二丁目

たに村西南方に所在。暦応四年(一三四一)四月には南朝方の西阿の兵が細川顕氏を「安部山」に攻めている(田代文書)慶長郷帳には「安部村」とあり村高五四四・七三石。旗本別所孫次郎領。ほかに安倍文殊あべもんじゆ院の朱印地五石があった。元和二年(一六一六)別所氏改易でいったん幕府領(代官竹村九郎右衛門)となるが、同五年津藩(藤堂高虎)領となり、廃藩置県に至った。「宗国史」によると「阿部」の「阿一作安」とみえ、戸数六八、人口三五三、祠に天照太神宮・八幡宮春日明神、寺に崇敬すうきよう寺、総堂、牛九とみえる。


阿部村
あべむら

[現在地名]洞戸村奥洞戸おくほらど

湾曲する板取いたどり川西岸に位置し、南は尾倉おぐら村。村の東部で同川に南西流する高賀こうか川が合流。正保四年(一六四七)の洞戸村免定(河合文書)に阿部分とみえる。


阿部村
あべむら

[現在地名]総社市福井ふくいいずみ

福井村の南に位置する。寛永備中国絵図に「あふ」とあり高一三四石余、旗本花房(高松)領。以後幕末まで同領(「備中村鑑」など)正保郷帳には安部村と記すが「あぶ」と朱で訓じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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