安美郷(読み)あなみごう

日本歴史地名大系 「安美郷」の解説

安美郷
あなみごう

中世の当郷は、現出石町北部から現豊岡市南東部にかけての六方ろつぽう川・出石川流域に比定される古代の出石郡安美郷(和名抄)の郷域から大内おおうち庄・鉢山はちやま(現豊岡市)安良やすら別宮(現八幡神社)の庄園・寺社領を除く部分の国衙領をさすと考えられる。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「安美郷 七拾六丁七反六拾分」とみえ、「地頭大江氏 出石三郎信政嫡女 長右衛門四郎長連妻女」と注記がある。地頭はもと出石信政であったが、太田文作成当時は嫡女で養父やぶ石禾上いさわかみ(現和田山町)地頭長長連の妻女に譲られていた。出石氏は出石郷などの地頭を兼ねる有力御家人であるが、当郷内の地を嫡女のほか多くの子女に分割しており、むしろ当郷が本拠ではなかったかとされる(出石町史)


安美郷
あなみごう

和名抄」所載の郷。諸本ともに訓を欠くが、天平勝宝二年(七五〇)正月八日の但馬国司解(東南院文書)などにみえる出石郡穴見郷に相当すると考えられ、訓はアナミであろう。同解や同年三月六日の但馬国司牒、同年五月一三日および七月二日の東大寺三綱牒案(いずれも同文書)によると、穴見郷戸主大生直山方の奴糟麻呂(歳二四)が稲九〇〇束、穴見郷戸主土師部美波賀志の奴藤麻呂(歳一五)が稲八〇〇束で買上げられて奈良東大寺に施入されたが、糟麻呂は小坂おさか郷出身の池麻呂とともに二度にわたって逃亡し、藤麻呂も逃帰ったため、本主に還送されている(→小坂郷。郷域は現出石町北部から現豊岡市南東部にかけての六方ろつぽう川・出石川流域に比定され、豊岡市三宅みやけ穴見郷戸主大生部兵主あなみごうこしゆおおいくべひようず神社、田道間守(但馬開発の祖と伝える天日槍の五世孫で三宅連の祖)祭神とする式内社中嶋なかじま神社、三宅廃寺(薬琳寺廃寺)、同市奥野おくの大生部兵主おおいくべひようず神社がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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