出石郷(読み)いずしごう

日本歴史地名大系 「出石郷」の解説

出石郷
いずしごう

古代の出石郡出石郷(和名抄)を継承した中世の郷で、国衙領。弘安八年(一二八五)但馬国太田文には「出石郷 三拾三丁九反四拾四分」とみえ、「地頭出石三郎信政跡 依白川三位家越訴、地頭被召上、子息孫三郎政光諸死云々」と注記され、田畠の内訳記載はない。地頭の出石信政は安美あなみ郷を本拠とすると考えられる但馬の有力御家人。しかし当郷と神戸かんべ郷とは出石大社(出石神社)の神郷的性格があり、代々神祇伯に任じ、神戸郷を知行していたこともある白川三位家(弘安当時は資緒王)が当郷についても訴訟を起こしていったん信政の地頭職が停止されたものの、結局信政子息の政光に再び地頭職が宛行われた。


出石郷
いずしごう

和名抄」所載の郷。同名の地名は但馬国に郡郷名があり、刊本ではそれぞれ「伊豆志」「以都之」と訓じている。美濃国の場合もそれに倣うべきであろう。史料上での初見は平城宮跡から出土した木簡で、「(表)濃国山県郡出磯郷田井里神人広目米(三カ)斗」「(裏)守部三麻呂米三斗、右六斗、天平三年十月廿一日」とある。これは郷里制下の天平三年(七三一)一〇月、山県郡からの貢進物荷札であるが、当郷は「出磯」の用字で示されている。現在、岐阜県下にかかわる数少ない郷―里制下の木簡といえよう。


出石郷
いずしごう

「和名抄」所載の郷。郡名と同名の郷で、同書東急本に「以都之」の訓がある。現出石町の出石神社鎮座地一帯に比定され、同社周辺には宮内みやうち遺跡黒田くろだ遺跡など弥生時代の遺跡があり、神社東方に広がる出石川の沖積地にはかつて条里の遺構がみられた。一帯は但馬地方でもっとも早く稲作が始められた地域の一つとされる。


出石郷
いずしごう

「和名抄」高山寺本に「以豆之」、東急本に「伊豆之」の訓がある。郷域については現岡山駅東方の旭川西岸に至る岡山市街地と推定されている。推定郷域内には弥生中期の豊富な遺跡・遺物を検出した鹿田しかた遺跡(鹿田)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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