日本大百科全書(ニッポニカ) 「宗像神」の意味・わかりやすい解説
宗像神
むなかたのかみ
記紀神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)の条に出現した3女神。湍津姫(たぎつひめ)は中津宮(福岡県宗像市神湊(こうのみなと)の沖約7キロメートルの大島)、市杵嶋姫(いちきしまひめ)(狭依(さより)姫)は辺津(へつ)宮(宗像市田島)に、田心姫(たごりひめ)(多紀理毘売(たぎりひめ)、奥津島姫(おきつしまひめ))は沖津宮(大島の沖約48キロメートルの沖島)にそれぞれ鎮座する。神名は激浪(げきろう)、斎女(みこ)、霧を基とした命名であり、水平三段に並ぶ祭祀(さいし)形式は6、7世紀に始まる。この3女神の祭祀は宗像君らが、一伝には水沼君(みぬまのきみ)らが行うと伝え、また天孫のために祀(まつ)られよとあることから、国家と宗像君を中心とする二重の祭祀を受けていたのであろう。海北道中に坐す神とあるように、朝鮮半島への渡航に重要な役割を果たした神である。1954~72年(昭和29~47)にかけて行われた沖ノ島祭祀遺跡調査の結果によれば、縄文期の洞窟(どうくつ)遺跡のほか巨岩の上や陰、周辺に、4世紀後半から9世紀にかけての大和(やまと)政権による貴重な奉献物が多数発見され、その祭祀の重要性が確認されるとともに、「海の正倉院」として、古代史解明に多くの期待がかけられている。
[吉井 巖]