日本歴史地名大系 「宗像神社」の解説
宗像神社
むなかたじんじや
〈大和・紀伊寺院神社大事典〉
〔祭神・創祀〕
〔沿革〕
天武朝より氏人の奉る神宝・園地も多く、高階真人が累代社務をつかさどっていたが、時を経るにしたがって神宝の紛失や祭事の闕怠があったので、しばしば祟りがあった。
宗像神社
むなかたじんじや
宗像神社
むなかたじんじや
宗像神社
むなかたじんじや
宗像神社
むなかたじんじや
近世には宗像天王宮などとみえる。祭神は多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命・事代主命。旧郷社。大治三年(一一二八)筑前国宗像神社より分霊を勧請したという。直接分霊を勧請した数社の内の一つとされる。慶長一一年(一六〇六)細川忠興が新田開墾のとき神殿などを営繕。元和六年(一六二〇)忠興が
宗像神社
むなかたじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報