宗社党(読み)ソウシャトウ(その他表記)Zōng shè dǎng

関連語 狭間

改訂新版 世界大百科事典 「宗社党」の意味・わかりやすい解説

宗社党 (そうしゃとう)
Zōng shè dǎng

中国近代の政治結社。1912年1月,清朝の皇族良弼(りようひつ)を中心に清帝退位に反対するために結成され,清朝滅亡後は宣統帝復辟のための活動を続けた。青島の恭親王傅偉(ふい)のグループ,上海の鄭孝胥(ていこうしよ),康有為等,徐州張勲等と各地に小集団が散在し,青島グループでも50名くらいのものだったが,軍閥の権力獲得陰謀および日本の満蒙侵略としばしば結びつき,みかけ以上の反動的役割を果たした。1912年と16年の2回の満蒙独立運動は日本の侵略と結びついた代表的なもので,17年の張勲復辟はその全活動におけるピークであった。張勲の失敗後も金梁らによる小規模な復辟陰謀がくりかえされるが,〈満州国〉における宣統帝溥儀以下のかいらい化によってその運動は終局した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宗社党」の意味・わかりやすい解説

宗社党
そうしゃとう
Zong-she-dang; Tsung-shê-tang

中国の辛亥革命以後,清朝皇族を中心に清朝復活,満蒙独立などを企てた団体。辛亥革命の際,良弼 (りょうひつ) が清朝擁護,共和制反対の勢力を結集したが,1912年1月良弼は暗殺された。清朝滅亡後,粛親王善耆 (ぜんき) らは,日本の右翼軍人,川島浪速らと結び,12,16年と2度にわたり清朝復活を策した。その第2回目には日本政府の黙認のもとに満蒙独立をはかってモンゴル貴族のバボージャブ (巴布札布) を蜂起させたが,袁世凱急死による日本の政策転換によって失敗に終った。

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