室町御所跡(読み)むろまちごしよあと

日本歴史地名大系 「室町御所跡」の解説

室町御所跡
むろまちごしよあと

足利義満が造営した将軍家の邸宅で、室町幕府があった。室町殿(第)、また花を多く植えたのではな御所ごしよ(花之亭)ともよばれた。

義満が将軍になって九年目の永和三年(一三七七)北小路(現今出川通)室町の地に造営を開始し、永徳元年(一三八一)四月二五日に落慶供養が行われた(空華日用工夫略集)。その間、義満が永和四年三月一〇日に北小路新第に移った(後愚昧記)、康暦元年(一三七九)七月八日に花亭に移った(愚管記)との記事がみえる。

応仁以前を描くとされる中昔京師地図には、南は北小路、北は毘沙門堂びしやもんどう大路(現上立売通)、東は烏丸からすま小路(現烏丸通)、西は室町むろまち小路(現室町通)東西一町、南北二町に、「将軍室町殿 花御所旧地」とあり、その北に方一町の「裏築地館」が設けられている。これは中古京師内外地図にある「室町殿 一名花之亭 足利将軍累代御所」の地と一致する。現在の今出川いまでがわ町・築山南半つきやまみなみはん町・同北半町・岡松おかまつ町・御所八幡ごしよはちまん町・裏築地うらつきじ町・上立売東かみたちうりひがし町にあたる。

この地は崇光上皇の仙洞御所があったが永和三年二月に焼失した(愚管記)。その跡地に、やはり炎上した菊亭家(今出川殿)の邸地を合して敷地としたので、それらの遺構を生かしたことが推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報