室町殿(読み)ムロマチドノ

デジタル大辞泉 「室町殿」の意味・読み・例文・類語

むろまち‐どの【室町殿】

京都市上京区にあった足利将軍家の邸宅。3代将軍足利義満天授4=永和4年(1378)に造営。庭に多くの花を植えたので花の御所の名がある。
室町幕府。また、その将軍。

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精選版 日本国語大辞典 「室町殿」の意味・読み・例文・類語

むろまち‐どの【室町殿】

  1. [ 一 ] 足利義満の造営による京都室町にあった足利家の邸宅。別名「花の御所」とも。
  2. [ 二 ] [ 一 ]から転じて、室町幕府および足利将軍の称。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「室町殿」の意味・わかりやすい解説

室町殿
むろまちどの

足利(あしかが)将軍の邸宅。1378年(天授4・永和4)足利義満(よしみつ)の造営。京都北小路室町にあったのでこの名がある。南北二町、東西一町の広さで、寝殿造の形式であった。諸家から名木・名花を集め、四季花が絶えなかったところから、「花亭(かてい)」とか「花の御所」とかいわれた。1381年(弘和1・永徳1)には後円融(ごえんゆう)天皇行幸(ぎょうこう)を仰いでいる。将軍の居所であるところから、幕府または将軍自身をさしていう場合もある。1476年(文明8)焼亡した。

[飯倉晴武]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「室町殿」の意味・わかりやすい解説

室町殿
むろまちどの

花の御所,花亭ともいう。京都にあった足利将軍家の邸宅。将軍義満の造営にかかり,天授4=永和4 (1378) 年頃完成。北小路の北,室町の東にあった。室町幕府の名称もこれに由来し,足利将軍の別称ともなった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「室町殿」の解説

室町殿
むろまちどの

花御所(はなのごしょ)

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旺文社日本史事典 三訂版 「室町殿」の解説

室町殿
むろまちどの

花の御所

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世界大百科事典(旧版)内の室町殿の言及

【足利義満】より

… 義満はまた永和のころ京都の北小路室町の地に壮麗な新邸を造営して,ここに移り,1381年後円融天皇の行幸を仰いで新邸の善美を内外に誇示した。新邸は四季の花木や諸家から召し上げた名木で飾られて花御所とよばれ,義満は室町殿とよばれた。政権の呼称としての室町幕府の名はここに由来する。…

【室町時代美術】より

…しかしながら,北山殿の主屋は寝殿であり,独立して建てられた会所は,唐物,唐絵の陳列場でもあった。当時の将軍邸における座敷飾の方式は,1437年(永享9)義教が後花園天皇の行幸を新造の室町殿に仰いだときの記録《室町殿行幸御餝記(おかざりき)》などによってうかがうことができる。また,《看聞日記》は,当時の宮廷で毎年行われた七夕法楽の花会の座敷飾を記録しているが,花瓶と唐物,やまと絵屛風と水墨画によって雑然と飾られた室のありさまは,枯淡のイメージからはほど遠い。…

※「室町殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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