宮原二郎(読み)みやはらじろう

精選版 日本国語大辞典 「宮原二郎」の意味・読み・例文・類語

みやはら‐じろう【宮原二郎】

  1. 工学者。静岡県出身。渡英して機関学を学び、帰国後、宮原式汽罐を発明した。東京帝大教授、海軍機関中将を歴任。安政五~大正七年(一八五八‐一九一八

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20世紀日本人名事典 「宮原二郎」の解説

宮原 二郎
ミヤハラ ジロウ

明治期の海軍機関中将,男爵 東京帝国大学教授;貴院議員。 宮原式汽缶の発明者。



生年
安政5年7月(1858年)

没年
大正7(1918)年1月15日

出生地
駿河国(静岡県)

学歴〔年〕
海軍兵学寮

学位〔年〕
工学博士〔明治31年〕

経歴
旧幕臣宮原木石の子に生まれる。明治5年海軍兵学寮に入り、8年イギリスに留学し、グリニッジ海軍学校で機関学を学ぶ。船舶用蒸気汽罐の改良を志し、28〜29年宮原式汽罐を発明、30年日英両国の特許を得る。この水管式機関は36年海軍に採用された。33年機関総監、39年海軍機関中将となる。この間東京帝大工科大学教授、海軍教育本部第4部長などを歴任。40年男爵を授けられ、42年予備役編入後貴院議員に勅選された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮原二郎」の意味・わかりやすい解説

宮原二郎
みやはらじろう
(1858―1918)

工学者、海軍機関中将。旧幕臣宮原木石(ぼくせき)(1827―1889)の子。明治初年、徳川家達(いえさと)に従って父とともに静岡にきて、静岡藩学校に学んだ。1872年(明治5)海軍兵学寮に入り、のちイギリスに留学して機関学を学び、帰国した。1895~1896年に宮原式汽罐(きかん)を発明、1896年に日本、イギリス両国の特許を得た。この水管式機関は1903年(明治36)海軍に採用され好成績を収めた。1898年工学博士、1900年機関総監、1906年海軍中将となった。この間に東京帝国大学工科大学教授として後進を指導した。1907年男爵を授けられ、1909年貴族院議員に選ばれた。なお父木石は蘭学(らんがく)にも通じた儒学者で、静岡藩学校で教鞭(きょうべん)をとった。

山崎俊雄

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮原二郎」の解説

宮原二郎 みやはら-じろう

1858-1918 明治時代軍人
安政5年7月7日生まれ。海軍兵学寮にはいり,イギリスに留学して機関学をまなぶ。明治30年宮原式汽缶を発明。33年海軍機関総監,39年機関中将となった。この間,帝国大学教授をつとめた。44年貴族院議員。大正7年1月15日死去。61歳。駿河(するが)(静岡県)出身。

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