日本大百科全書(ニッポニカ) 「家父長制国家」の意味・わかりやすい解説
家父長制国家
かふちょうせいこっか
国家を家族の集合体とみなし、君主や支配者は、家父長(かふちょう)patriachが家族の全成員に対して絶対権をもつように、臣下に対しても絶対的な支配権をもつ、と考えられた国家形態。絶対君主制や戦前の日本においてこのような政治が行われ、またそのような国家観が唱えられた。近代において家父長制論を最初に体系化したのはR・フィルマーであった。彼はピューリタン革命の前夜にあって、君主と議会が主導権争いを展開している状況のなかで君主主権論を擁護すべく『家父長制論(パトリアーカ)』(1635~42年の間に書かれたと推定)を書き、その論文は王党派の間で回覧され評判を得たという。フィルマーによれば、現在の各国君主はすべて、神から絶対権力を賦与されたアダムの末裔(まつえい)であり、また君主はすべての家父長の頂点に位置するから君主の権限は絶対的であると主張し、君権制限論や議会主権論・人民主権論を否定した。しかし彼の理論は、国家や政府は人々の所有権を保護するために設立された目的意識的な社会である、とする名誉革命期の思想家ロックによって粉砕された。フランスではルソーが、フィルマー流の家父長制論を説くボシュエの思想を批判し人民主権論を展開した。
戦前の日本では、忠孝を柱とする儒教道徳に支えられた家族国家観が政治支配の理論として機能していたが、戦後の日本国憲法において国民主権主義が確立され、「家」制度の廃止と両性の平等が保障されたことによって家族国家観は消滅した。
[田中 浩]