日本国憲法(読み)ニホンコクケンポウ

デジタル大辞泉 「日本国憲法」の意味・読み・例文・類語

にほんこく‐けんぽう〔‐ケンパフ〕【日本国憲法】

日本の現行の憲法大日本帝国憲法に代わり、昭和21年(1946)11月3日に公布、昭和22年(1947)5月3日から施行。前文および11章103条からなる。国民主権基本的人権の尊重、平和主義を基調として、象徴天皇制、戦争の放棄、三権分立国権の最高機関としての国会地方自治の保障などを規定している。
[補説]日本国憲法前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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共同通信ニュース用語解説 「日本国憲法」の解説

日本国憲法

日本の最高法規。1946年11月3日に公布、47年5月3日に施行された。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本原則とし、前文と計103条で構成。1条は象徴天皇制、9条は戦争放棄や戦力不保持を定める。連合国軍総司令部(GHQ)の草案を基に政府が大日本帝国憲法改正案を作り、帝国議会が修正した。改正には、衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成を得て国会が改憲を発議し、国民投票で過半数の賛成が必要。これまで改正されたことはない。

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精選版 日本国語大辞典 「日本国憲法」の意味・読み・例文・類語

にほんこく‐けんぽう‥ケンパフ【日本国憲法】

  1. 日本における現行の憲法。大日本帝国憲法(明治憲法)に代わり、昭和二一年(一九四六)一一月三日公布され、同二二年五月三日施行された。前文と一一章一〇三条の本文からなる。主権在民、平和主義、基本的人権の尊重を基調とする。日本国の象徴としての天皇の地位、戦力の不保持、自由、平等を旨とする基本的人権の保障につき詳細な規定をおくほか、国権の最高機関としての国会、行政権の主体である内閣、司法権を行なう裁判所の三権分立を明らかにしている。新憲法。

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改訂新版 世界大百科事典 「日本国憲法」の意味・わかりやすい解説

日本国憲法 (にほんこくけんぽう)

日本の現行憲法。

1945年8月15日,日本は,連合国の発するポツダム宣言を受諾した。同宣言は,日本軍の無条件降伏と完全な解体を定め,日本の領土主権を本州,北海道,九州,四国等に限定すると同時に,日本の将来の政治の根本原則も定めていた。民主主義的傾向の復活強化,基本的人権の尊重,平和政治,責任政治,日本国民の自由に表明する意思による政治形態の決定(国民主権)などであった。また,このような原則に基づく新秩序が建設されるまで日本を占領下におく旨も定められていた。

 明治憲法(〈大日本帝国憲法〉のこと)がこのような政治の原則を全面的に欠いていたところからすれば,ポツダム宣言の受諾は日本が新憲法制定の法的義務を負ったことを意味する。第2次大戦が歴史的には反ファシズム戦争としての性格をもち,ポツダム宣言が反ファシズムの勝利を確認する文書としての意義をもっているところからすれば,新憲法の制定は日本の歴史的義務に属するものでもあった。

 しかし,日本の権力担当者たちは,ポツダム宣言受諾後も,〈国体〉(天皇主権)の護持に固執して,その要求にこたえるために明治憲法を改正する必要はない,明治憲法は条文が少なく弾力性に富んでいるからその要求に十分にこたえることができる,と考えていた。1945年10月,連合国最高司令官マッカーサーは,日本の政府に2度にわたって,ポツダム宣言を受諾した以上明治憲法を抜本的に改正すべきだと勧告した。政府(幣原喜重郎内閣)は,これを受けて国務大臣松本烝治を主任とする憲法問題調査委員会を設置した。同年12月8日,松本は,衆議院で,以下の4原則(〈松本四原則〉)に基づき,同委員会が憲法改正案を作成する旨を表明した。(1)天皇が統治権を総攬するという明治憲法の根本原則は変更しない。(2)議会の議決事項を拡大し,天皇の大権事項をある程度削減する。(3)国務大臣は全国務について議会に責任を負い,国務大臣が輔弼(ほひつ)しない大権事項は認めない。(4)人民の権利・自由の保障を拡大強化する。

 〈松本四原則〉に基づいて作成されたものが〈憲法改正要綱〉(〈松本案〉)である。そこでは,天皇主権の原則は維持され,統帥権の独立は否定されたものの軍隊は存続させられており,基本的人権の考え方はなく法律で自由に制限できる〈臣民の権利〉が保障されているにとどまった。この要綱は,46年2月8日,占領軍総司令部に提出された。

同年2月13日,占領軍総司令部は,この〈要綱〉を拒否して,人民主権を宣言する〈総司令部案〉(〈マッカーサー草案〉)を日本側に渡し,これを最大限に考慮して新しい憲法草案をつくるよう要求した。〈総司令部案〉は,今の日本国憲法とほぼ同内容のものであるが,部分的にはそれ以上のものを含んでいた。たとえば,〈土地及一切の天然資源の究極的所有権は人民の集団的代表者としての国家に帰属する〉という規定,接見交通権の明示的保障,過大な保釈金の禁止,一院制の国会,〈国会は予算の項目を不承認,減額,増額若(もしく)は却下し又は新たなる項目を追加することを得〉という規定などは,その代表的な例である。

 政府は,46年2月26日に新草案作成の作業に入り,総司令部から数度の督促を受けて3月2日に案をまとめた。〈3月2日案〉である。それは,人民主権の表現をすべて削除し,〈土地及一切の天然資源の究極的所有権……〉の規定も削り,基本的人権については法律で制限できる旨を強調していた。3月4日にこの案を総司令部に持参すると,総司令部は,その場で〈最終案〉をつくるための共同研究会を提案した。4日から5日にかけて〈3月2日案〉が徹夜で検討され,〈総司令部案〉の方向に大きく修正された。

 政府は,3月6日,〈最終案〉の字句を多少修正したうえで,〈憲法改正草案要綱〉とし,勅語,首相の談話とともに発表した。マッカーサーは,同日この要綱を全面的に支持すると声明した。天皇の名において要綱が発表され,占領軍最高司令官がそれを全面的に支持したということは,当時におけるこの2人の影響力からみて,新憲法の内容の大枠が決まってしまったことを意味するといっても大過はあるまい。戦後7ヵ月もたたない時点でのことである。

総司令部は,新憲法の制定をなぜこうも急いだのか。以下のようなことが考えられる。

 第1は,〈松本案〉の内容と〈総司令部案〉の交付からもわかるように,日本の政府にポツダム宣言の要求にこたえる憲法を制定する能力がないと判断したことである。

 第2は,連合国内部に天皇制と天皇の戦争責任について意見の対立があり,天皇制を修正してアメリカの占領目的達成のために利用しようとしていたアメリカにとっては,他の連合国ががまんできるような新しい天皇制を急いで設ける必要があったことである。1945年12月27日,モスクワの米英ソ三国外相会議は,他の連合国の要求もあって,全連合国の代表からなる極東委員会(FEC)を設置することおよび日本の憲法問題はそこで満場一致で決定することを決め,極東委員会の第1回会合を翌年2月26日とした。アメリカは,その会合の前に,おそくとも極東委員会が実際に活動を開始する第2回会合(1946年3月7日)以前に,日本の憲法問題,とくに天皇制の問題に決着をつけておかなければならなかったのである。

 第3の要因として,当時民衆の意識が急激に変化しつつあったことがあげられる。あいつぐ労働組合の結成,激しい労働争議の続発,政治の革新を求める〈民主統一戦線〉や〈民主人民戦線〉の動き,食糧を求める民衆運動など,労働運動,民衆運動は急激な高まりをみせていた。民衆は,これらの運動を通じて,社会や政治のあり方を問題とし,やがてはそれを憲法問題として要求してくるはずであった。総司令部は,下からの変革を阻止するために,民衆が憲法問題に到達する前に,その要求を部分的に先どりして憲法問題に決着をつけておかなければならなかった。

 政府が明治憲法的な〈憲法改正要綱〉から異質の原理をもつ〈憲法改正草案要綱〉に突如として転換し,憲法問題の決着を急いだ理由も問題となる。総司令部の強要があったからだとする〈押しつけ憲法論〉は,正確ではない。国際・国内情勢からみて,完全な共和制の要求をかわし,天皇の戦争責任と大きな政治的社会的変革を避けるためには,新しい憲法原理を受け入れることが必要だとする総司令部の態度や説明を日本政府なりに了解したからだ,というほうが正確であろう。1946年3月20日,幣原首相は,枢密院で極東委員会の発足にふれて,以下のように述べていた。〈此等の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為に誠に喜ぶべきことで,若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて懼(おそ)るべきものがあったように思われ危機一髪ともいうべきであったと思うのである〉。

 同年4月10日,男女平等の直接普通選挙による衆議院議員の総選挙が行われた。5月16日,第90帝国議会が召集され,日本国憲法は,明治憲法の定める改正手続(73条)に従って,貴族院を含む帝国議会で審議され,若干の修正をへて,11月3日に公布された。

 以上の制定経過から,とくに次の諸点に注意すべきであろう。第1に,権力担当者の多くは,国民主権,基本的人権,平和主義などの新しい憲法原理に価値を認めて積極的にいまの憲法に賛成したわけではなく,天皇を戦争犯罪人にしないためとか,大きな政治的社会的変革を避けるために心ならずも賛成したということである。〈山吹憲法〉とか〈避雷針憲法〉という日本国憲法に対する当時の侮蔑的な呼び方はそのことをよく示している(〈山吹憲法〉とは,天皇については8ヵ条も規定があるが,天皇に政治的実権を一つも与えていないことを嘆いたものである)。第2に,一般の国民には,憲法問題に参加するために必要な時間も手続も保障されなかったことである。変革期であっても,国民が臣民の意識から主権者の意識に転換し,憲法問題を自己の問題として考えることができるようになるためには,時間がかかる。その時間は,保障されなかった。1945年末から翌年前半にかけて,政党や民間の研究団体・個人からもいくつもの憲法改正案が発表された。そこには,人民主権・共和制をとる共産党案,国民主権・国家的儀礼のみをつかさどる天皇制を提案する憲法研究会案,国民主権,共和制,土地等の国有化を打ち出す高野岩三郎案など,注目に値するものも含まれている。しかし,自由民権期とくらべても発表された民間草案の数は少なく,しかも無名の民衆からのものは皆無であった。さらに,国民には憲法問題をみずから検討し決定する手続も保障されなかった。国民主権の憲法を制定するにあたって,国民投票の手続さえもとられなかったのである。国民を制定過程において紙の上での主権者にとどめようとするアメリカ占領軍と権力担当者の巧妙な対応の現れである。

 このような特色をもった制定経過は,日本国憲法の運用にも大きな影響を及ぼすはずであった。

 なお,1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ講和条約が翌年4月28日に発効し,連合国の占領は終わったが,日本は同時に締結された日米安全保障条約の下におかれることになった。

日本国憲法は,不可侵の基本的人権,国民主権,いっさいの戦力と戦争の放棄を内容とする徹底した平和主義および権力分立(三権分立)を根本特色としている。これらのうち最初の三つを日本国憲法の3要素と呼ぶこともある。これらを具備することによって,日本国憲法は,それを欠く明治憲法的な外見的立憲主義型の憲法とは異なった,近代立憲主義型の憲法となっている。しかも,とくに参政権の強化,社会権の保障などにみられるように,そこでは人権の保障や民主主義の内容が18,19世紀の市民憲法の場合と比べて明らかに拡充強化されており,現代の要請にもこたえうるものとなっている。20世紀中葉の市民憲法としては,人権保障,民主主義,平和主義のいずれの面においても,比較憲法的にみて,もっとも注目に値する現代市民憲法の一つということができる。

 日本国憲法のおおまかな内容と特色は,以下のとおりである。

明治憲法は,国政の重要事項のうち皇室に関する事項を除外していた。後者は皇室典範が定めるものとされ,天皇がその改正を行い,帝国議会も関与できないものとされていた。神権天皇制の反映であった。日本国憲法は,このような二元性を廃止した。現在の皇室典範は,国会が議決する法律にすぎない。また,日本国憲法も,通常の立法手続では改正できない硬性憲法である。その改正は,各議院の総議員の3分の2以上の賛成による国会の発議と国民投票による国民の承認とによって行われる(憲法改正)。

明治憲法で保障されていた権利は法律で任意に制限できる〈臣民の権利〉であったが,日本国憲法の保障する権利は法律をもってしても〈侵すことのできない永久の権利〉であることを特色とする〈基本的人権〉である(11,97条)。伝統的な自由権,受益権,参政権のみならず,社会権も保障され,それぞれの保障の範囲と内容は相当に拡充強化されている。自由権は,身体の自由(18,31条以下),精神の自由(19,20,21,23条),経済活動の自由(22条1項,29条),その他(22条2項,24条1項など)に及び,受益権は,請願権(16条),国家賠償請求権(17条),損失補償請求権(29条3項),裁判を受ける権利(32条),刑事補償請求権(40条)を含み,参政権については,公務員の選定罷免権(15条1項),普通選挙,投票の秘密と自由(15条3,4項),国会議員についての選挙権と被選挙権の保障(44条),最高裁判所裁判官の国民審査(79条),地方特別法の住民投票(95条),憲法改正の国民投票(96条1項)が定められ,社会権としては,生存権(25条),教育を受ける権利と義務教育の無償(26条),勤労の権利(27条1項),労働3権(28条)などが保障されている。また,基本的人権の保障に対応して,法の下の平等も強化されている(14条)。20世紀の市民憲法としては,もっとも充実した人権保障体系をもつものの一つということができる。
基本的人権

日本国憲法は,前文第2段で〈平和を維持し……ようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ〉と述べ,それを9条で具体化し,世界の憲法史上前例のない徹底した平和主義の立場を打ち出している。9条は,侵略戦争のみならず自衛戦争をも放棄し,陸海空軍その他の戦力の不保持を宣言し,さらに国の交戦権を否認している。これに対応して,日本国憲法には,戦争や軍隊を想定した規定(宣戦,講和,軍の最高指揮権,戦時・非常時における人権保障の例外などに関する規定)はまったく存在しない。
戦争の放棄

日本国憲法は,国民主権を導入して天皇主権の国体を変革した。その国民主権がどのような構造をもっているか,とりわけ〈国民(ナシオン)主権〉〈人民(プープル)主権〉のいずれを意味するか,についてはなお検討の余地もあるが,普通選挙権者の総体としての人民を国家権力の所有者とする,〈人民の,人民による,人民のための政治〉を求める原理(〈人民(プープル)主権〉)と解すべきであろう。議員を〈全国民の代表〉と定める43条1項やその発言・表決の自由(免責特権)を定める51条など,〈国民(ナシオン)主権〉になじむ伝統的な規定も存在するが,普通選挙制度,憲法改正の国民投票をはじめとするもろもろの直接民主制,公務員についての選定罷免権の規定などは,〈人民(プープル)主権〉の根拠となる。選挙制度の問題を含めて,日本国憲法の統治機構のあり方は,すべてこの原理から説明され運用されなければならない。
国民主権

国民は,〈正当に選挙された国会における代表者を通じて行動〉することを原則とする,国民代表制である(国民代表)。しかし,この代表制は,国民主権の原理に適合的な構造,つまり同時に民主制としての構造をもっていなければならない。とりわけ,国民の意思を映し出す選挙制度,世論を重視する政治,慎重公平な議事手続,国民の公務員罷免権の具体化も含めて国民による政治の監視,国民代表による行政の監視,地方自治の重視(これについては後述する),国民の知る権利の保障(政治の公開,取材と報道の自由の尊重,国政調査権の活用による国民への情報提供),民意を問う解散制度の活用などが重要である。これらを欠く場合には,政治は〈人民による,人民のための政治〉にはなりえない。

国会は,国民代表府として〈国権の最高機関〉であると同時に,〈国の唯一の立法機関〉としての地位を与えられている。国民は国会における代表者を通じて行動することを原則とするから,原則として国会を通じて国民の意思が表明され,国会が唯一の立法機関となる。(1)国会が唯一の立法機関であるから,他の機関による立法は認められず,〈法律案は,この憲法に特別の定のある場合を除いては,両議院で可決したとき法律とな〉り(59条1項),他の機関の介入を要しない。国会には,そのほか,予算の議決権(86条),条約の承認権(61条),総理大臣の指名権(67条),憲法改正の発議権(96条1項)などが認められているが,憲法改正の発議権の場合を除き,いずれの権限の行使においても衆議院に優越的地位が与えられている。また,各議院には,議員の資格に関する争訟の裁判権(55条),議長その他の役員の選任権(58条1項),議院規則の制定権(58条2項),議員の懲罰権(58条2項),国政調査権(62条)などが認められている。衆議院には内閣の不信任決議権(69条)が,参議院には緊急集会で臨時の措置をとる権限(54条2,3項)が与えられている。(2)国会の両議院は,普通・平等および秘密選挙で選ばれた議員で組成される。議員は,相当額の歳費を受ける権利(49条)のほか,不逮捕特権(50条)や免責特権(51条)も保障されているが,この免責特権の保障は国民から罷免されないことの保障までは含んでいない(15条1項参照)。(3)国会は,召集から閉会までの期間(会期)だけ活動する。会期には,予算を審議するために毎年1回召集される常会,臨時の必要がある場合に内閣またはいずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求によって召集される臨時会,総選挙後に内閣総理大臣を指名するために召集される特別会がある(52,53条,54条1項)。
国会

(1)内閣は,行政権の主体として,法律の誠実な執行,外交関係の処理,国会の承認をえることを条件とした条約の締結,法律の定める基準に従い官吏に関する事務を掌理すること,予算を作成して国会に提出すること,政令の制定,恩赦の決定(以上,73条),天皇の国事行為についての助言と承認(3条),などの権限を認められている。(2)内閣は内閣総理大臣とその他の国務大臣からなる合議体であるが,いずれも文民であることを条件とし(以上,66条),かつ内閣総理大臣が他の国務大臣を任命し任意に罷免する(68条)。内閣は,行政権の行使について,国会に対して連帯責任を負う(66条3項)から,その意思決定は全員一致でなければならない。(3)内閣総理大臣は国会議員の中から国会により指名され(67条),他の国務大臣の過半数も国会議員でなければならない(68条1項)。衆議院は内閣の不信任決議権をもち,内閣は,衆議院で不信任とされた場合には,10日以内に衆議院が解散されないかぎり,総辞職しなければならない(69条)。日本国憲法では,議院内閣制がとられているのである。

(1)司法権は,最高裁判所と法律によって設置される下級裁判所に属する。したがって,最高裁判所の系列から独立した行政裁判所などは認められず,行政事件も通常の裁判所で審理される。裁判官は,すべて,良心に従い独立して職権を行使し,憲法と法律だけに拘束される(司法権の独立。以上76条)。裁判所は,具体的な事件の審理の際に,当事者からの請求に基づいて,法律などの合憲性を審査する(違憲立法審査制度。81条)。最高裁判所は,訴訟に関する手続などについての規則を制定する権限をもっているが,下級裁判所に関する規則については,この権限を下級裁判所に委任できる(77条)。(2)最高裁判所は,長官と法律で定める数のその他の裁判官で構成され,前者は内閣の指名に基づいて天皇が任命し,後者は内閣が任命する(79条1項,6条2項)。最高裁判所裁判官は,国民審査に付される。下級裁判所裁判官は,最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣が10年の任期で任命し,再任されることができる(80条1項)。裁判官は,その身分を保障され,裁判により心身の故障のために職務を行えないと決定された場合および国会の両議院の議員によって組織される弾劾裁判所の裁判による場合(裁判官弾劾法)以外には罷免されない(78条)。また行政機関による懲戒処分もなされない。

明治憲法の場合と異なって,地方自治は憲法上独立の章をもって保障されている(8章)。地方公共団体の組織と運営に関する事項は,〈住民自治〉と〈団体自治〉を内容とする〈地方自治の本旨〉に基づいて法律で定めることになっている。中央政府の政治は,国民の手の届きにくい代表による政治を原則としているうえに,画一的で地域住民の要求やその生活実態への配慮に欠けがちであるから,地方で処理できる事務を可能なかぎり地方公共団体の事務としかつそれに見合う財源をも保障することによって地方自治を充実することは,国民主権,人権保障のいずれの観点からみても重要なことである。そのような地方自治のあり方は,中央政府の政治を全国民のものとするためにも重要なことである。地方で処理できる事務を中央政府のものとしておくと,全国民のために政治をすべき中央政府の担当者が,自分の選挙区に公共事業を誘致したり補助金を獲得することに力をいれて,その本務を怠りがちとなる。そのほうが再選をえやすいからである。
地方自治

日本国憲法は,天皇主権を廃止して,象徴天皇制を導入した。象徴天皇は,国政に関する権能を否定され,6条と7条に列記する国事行為だけを認められている(4条)。すべての国事行為については,内閣の助言と承認を必要とし,内閣が責任を負う(3条)。象徴天皇は,行政権の主体でもなく,対外的に日本国を代表する権能ももたないから,君主でもまた元首でもない。
天皇

権力担当者に着目する場合,1983年現在で,憲法を運用する政治(以下,憲法政治という)は,憲法施行後の2,3年を別とすると,〈解釈改憲を求める政治〉と〈明文改憲を求める政治〉という2頭の馬につねにひかれてきたということができそうである。〈解釈改憲〉とは,憲法の明文(規定)を改正することなく,憲法の解釈をその文言と論理からは不可能なまでゆがめることによって,明文改憲が行われたと同様の状態を解釈の名においてつくり出し,憲法とは本来両立しない政治を正当化しようとする政治のしかたを意味する。そのような政治のしかたは,当然のことながら,政治が憲法に従うことを求める立憲主義に反する。〈明文改憲〉は,憲法の明文(規定)自体を修正することで,いわゆる憲法改正を意味する。

 日本国憲法下の憲法政治は,ほぼ一貫して,この2頭の馬にひかれてきた。すぐに明文改憲をせずに,わかりにくい解釈改憲の方法に訴えた原因や理由も問題となる。わかりにくい方法だからこそ,国民の批判をかわすことができるということも,考えられる。しかし,最大のものとしては,政府・与党が明文改憲を求めながらもそのために必要な議席を国会にもっていないことがあげられるであろう。国民が明文改憲の発議に必要な議席を認めていないからだといってもいい。

 解釈改憲の代表的事例は,9条の運用にみられる。9条は,あらゆる戦力の不保持とあらゆる戦争の放棄を定めている。日本国憲法下では,国内の治安維持を目的とする警察力以外の実力は,存在できないはずである。しかし,この憲法の下で,警察予備隊(1950)→保安隊・海上警備隊(1952)→自衛隊(1954)が設けられ,しだいにその実力を強化している。1978年には〈日米防衛協力のための指針〉によって〈日本以外の極東における事態での日本の安全に重要な影響を与える場合の日米間の協力〉まで定められ,79年には日本の防衛費は世界8位に達している。また,81年には日本の周辺海域数百カイリとシーレーン(航路帯)1000カイリについても自衛隊で守れるよう積極的に努力する方針が打ち出されている。政府は,1955年ころから,日本には自衛権があるから,〈自衛のための必要最小限度の実力〉(政府はこれを防衛力または自衛力とよんでいる)は憲法の禁止する戦力にあたらず,自衛隊をこの必要最小限度の実力の範囲内にあると説明している。また,自衛力の範囲内であれば,核兵器をもつことも違憲ではないとしている。

 旧日米安保条約(1951)や新日米安保条約(1960)に基づいて,アメリカ軍が占領後も日本に駐留している。最高裁判所は,59年12月16日の砂川事件判決で,(1)憲法9条は,日本が他国に安全保障を求めることをなんら禁止していない,(2)同条2項の禁止する戦力は,日本が指揮管理するものをいうのであって,外国の軍隊を含まない,(3)アメリカ軍の駐留は,憲法の趣旨に適合する,と判示していた。

 最近では,政府は,日本を西側陣営の一員と規定しその防衛努力が世界平和のために必要であると説明し,また自衛隊と米軍との合同演習を強化している。

 あらゆる戦力の不保持とあらゆる戦争の放棄を定めている憲法9条は,解釈改憲の政治によって,事実上骨抜きになっている。このような解釈改憲的政治の事例は,統治機構の分野にも,人権保障の分野にも,広範にみられる。

 明文改憲への動きも根強い。自民党は1955年に自由党と民主党(その中心は改進党)の合同によって成立したが,自由党と改進党は,その前年にそれぞれの憲法調査会の名で,〈日本国憲法改正案要綱〉と〈憲法改正の問題点〉を発表していた。両者は,ともに,(1)天皇を国の元首とし,その権限を強化する,(2)9条の戦争の放棄と戦力の不保持を改める,(3)基本的人権の制限と国民の義務を強化する,の3点を明文改憲の要点としていた。この母胎となった2党の方針を受けて,自民党も結党以来明文改憲の立場を堅持している。結党時につくられたその〈政綱〉は,〈平和主義,民主主義および基本的人権尊重の原則を堅持しつつ,現行憲法の自主的改正を図り,また占領諸法制を再検討し,国情に即してこれが改廃を行う〉としている。

 56年には,政府与党は,明文改憲の一環として,内閣の下に現行憲法を検討する憲法調査会を設置した。64年に発表されたその最終報告書では,自民党が国会で憲法改正を発議するだけの議席をもっていなかったこともあって,明文改憲の方向ははっきりとは打ち出されなかった。その後昭和40年代にかけて与野党の伯仲状況が出現するにつれ,明文改憲への動きは外見的には一段と沈静化していく。しかし,解釈改憲の手法が憲法から政治を十分に正当化できないという弱点をもち,しかも多数党が〈政綱〉を党是としているかぎり,明文改憲への動きは消え去ることがない。

 72年に,自民党の憲法調査会は,〈憲法改正大綱草案〉を発表し,〈天皇が国を代表することを明確にする〉〈自衛力の保持と集団的安全保障〉を認める,〈個人の幸福追求と国家社会秩序との調整をはかる〉等を明らかにしている。80年衆・参両院の同時選挙で自民党が〈圧勝〉してから,同党の憲法調査会を中心として明文改憲の動きにも拍車がかかっている。

 このような解釈改憲の政治と明文改憲を求める政治が,とにもかくにも一応日本に根を下ろしえた原因も問題となる。選挙制度が国民の意思を議会構成に公平に反映できない構造をもっているとか,野党が四分五裂の状況にあるとか,国民が見せかけの生活向上に満足して政治を厳しく監視していない,ことなどもあげられるが,より根本的なものとしては次の2点が考慮されるべきであろう。

 第1は,日本国憲法の制定が国民の徹底した意識変革に基づいていなかったことである。憲法の制定に積極的に関与した権力担当者の多くは,国民主権,平和主義,基本的人権の尊重という新しい憲法原理に心から賛成していたわけではなく,天皇制を維持し,天皇が戦争犯罪人にされるのを避け,一般に日本がより大きな政治的社会的変革をこうむるのを避けるために,〈避雷針憲法〉として賛成したにすぎなかった。その目的が達成されると,彼らは当然に日本国憲法から離れていくはずであった。また,一般の国民も,憲法制定時には,みずからの手で憲法を制定するために必要な時間もそのための手続も保障されなかった。憲法を自分のものとし,主権者意識をもった真の主権者となることも妨げられてしまったのである。その結果,憲法政治の監視者としての役割を十分には果たせなくなるはずであった。

 第2は,憲法と矛盾する政治を求めてやまない日米安保体制である。連合国最高司令官の指令(1950),旧日米安保条約(1951),日米相互防衛援助協定(1954),新日米安保条約(1960),日米防衛協力のための指針(1978)などによって,日本の防衛義務が強化され,9条をはじめ憲法と矛盾する政治が強化されてきたことは否定しがたい事実である。

 しかし,国民は,解釈改憲の政治と明文改憲を求める政治を,ただ手をこまねいて見ていたわけではない。以下の事例からもうかがわれるように,そのような憲法政治の動向を批判し続けてきたことも事実である。

(1)国民は,一度として明文改憲に必要な議席を自民党に与えていない。昭和40年代以降においては,同党は衆議院議員総選挙で50%を超える得票率を得ていない。

(2)国民は,選挙のときだけ批判してきたわけではない。ほとんどあらゆる憲法問題について,あらゆる機会にそれをしてきている。たとえば憲法訴訟である。教科書検定に関する家永訴訟(教科書裁判),思想・信条の自由に関する三菱樹脂事件,戦争の放棄に関する砂川事件恵庭(えにわ)事件長沼ナイキ訴訟などをはじめとして,枚挙にいとまがないほど憲法訴訟が起こされてきたし,また現に行われている。どの訴訟にも多くの国民から支持が寄せられている。

(3)また,国民は,憲法擁護のために,憲法擁護国民連合(1954結成),憲法擁護新国民連合(1961結成),憲法改悪阻止各界連絡会議(1965結成)などの組織に結集している。

 このような国民の側の批判や運動によって,憲法から離脱しようとする政治にブレーキがかけられてきたことは否定できない。しかし,それにもかかわらず,憲法と政治の間に大きな乖離(かいり)があり,その溝が拡張されこそすれ,縮小され埋められるまでに至っていないことも事実である。護憲運動の組織間でも,憲法政治への対応のしかたの差異が拡大する傾向にさえある。

 憲法制定時には,特殊な制定事情のゆえに,国民は,憲法を自分のものとしかつ憲法によって政治を監視する主体にはなりきれなかった。その課題はあとに残されてしまったのであるが,現時点においても,憲法政治の側からその課題が国民に問われていることは否定できない。
憲法 →大日本帝国憲法
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本国憲法」の意味・わかりやすい解説

日本国憲法(全文)
にほんこくけんぽう

施行 昭和22年5月3日

 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。


  御名御璽
   昭和二十一年十一月三日
    内閣総理大臣兼
    外務大臣    吉田茂
    国務大臣 男爵 幣原喜重郎
    司法大臣    木村篤太郎
    内務大臣    大村清一
    文部大臣    田中耕太郎
    農林大臣    和田博雄
    国務大臣    斎藤隆夫
    逓信大臣    一松定吉
    商工大臣    星島二郎
    厚生大臣    河合良成
    国務大臣    植原悦二郎
    運輸大臣    平塚常次郎
    大蔵大臣    石橋湛山
    国務大臣    金森徳次郎
    国務大臣    膳桂之助

日本国憲法
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


  第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

 二 国会を召集すること。

 三 衆議院を解散すること。

 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

 七 栄典を授与すること。

 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

 九 外国の大使及び公使を接受すること。

 十 儀式を行ふこと。

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

  第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  第三章 国民の権利及び義務
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

 児童は、これを酷使してはならない。

第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。

 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。

 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

第三十八条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。

 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

  第四章 国会
第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。

第四十七条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

第四十八条 何人も、同時に両議院の議員たることはできない。

第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。

第五十条 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。

第五十一条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

第五十二条 国会の常会は、毎年一回これを召集する。

第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

第五十四条 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。

 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

第五十五条 両議院は、各ゝその議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十六条 両議院は、各ゝその総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。

 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

第五十七条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。

 両議院は、各ゝその会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。

 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。

第五十八条 両議院は、各ゝその議長その他の役員を選任する。

 両議院は、各ゝその会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。

 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。

 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

第六十条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。

 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第六十一条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。

第六十二条 両議院は、各ゝ国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

第六十三条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。

 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

  第五章 内閣
第六十五条 行政権は、内閣に属する。

第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。

 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。

 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。

 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。

 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

第七十条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

第七十一条 前二条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

 一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。

 二 外交関係を処理すること。

 三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。

 四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

 五 予算を作成して国会に提出すること。

 六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

 七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

第七十四条 法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

第七十五条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

  第六章 司法
第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。

 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

第七十七条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。

 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。

 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。

 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。

 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。

 審査に関する事項は、法律でこれを定める。

 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。

 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。

 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

第八十二条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

  第七章 財政
第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

第八十四条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

第八十七条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。

 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。

第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。

 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

第九十一条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。

  第八章 地方自治
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。

 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

  第九章 改正
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

  第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

  第十一章 補則
第百条 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。

 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。

第百一条 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。

第百二条 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

第百三条 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。


日本国憲法
にほんこくけんぽう

大日本帝国憲法(明治憲法)にかわって施行された、現在の日本の成文憲法典。1946年(昭和21)11月3日に公布、翌47年5月3日から施行された。

[池田政章]

憲法成立の経緯

太平洋戦争の終結直後、ポツダム宣言の条項を実施するために、大日本帝国憲法を改正する必要があるかどうかについて論争が生じ、かならずしもその必要はないという意見もあったが、大勢は改正すべきであるという意見が強かった。さらに1945年幣原(しではら)内閣は連合国最高司令部(GHQ)から、憲法改正を考慮すべき旨の指示を受け、これによって明治憲法の改正は必至となった。政府は、松本烝治(じょうじ)国務相を長とする憲法問題調査委員会を設けて、改正案の審議を行い、翌年1月いわゆる松本案が作成された。しかし、GHQはこれを日本民主化のためには不適当なものとして、別の憲法草案(いわゆるマッカーサー草案)を起草して、2月13日その採用を日本政府に求めた。日本政府はこの草案に基づいて憲法草案を起草し、3月6日に発表した。この草案は正式に枢密院の諮詢(しじゅん)を経て、6月20日に第90帝国議会に提出された。衆議院で2か月、貴族院で1か月を費やして審議され、いずれも多少の修正が加えられたうえで可決された。議会における審議は活発に行われ、批判的意見も多く述べられたが、結局、GHQが速やかな可決を要請していたという事情から、両院での反対者はきわめて少なかった。憲法改正案は枢密院の可決後、天皇の裁可を経て、11月3日に公布された。そして日本国憲法第100条の規定に従い、47年5月3日から施行された。

[池田政章]

構造と特色

日本国憲法は、前文および11章103条からなる。これは明治憲法の7章76条に比べるとかなり長い。日本国憲法は、国の根本法に関する事項をすべて規定するという方針をとったからであり、各条文の規定の仕方も、明治憲法に比べ詳細になされている。

 その基本的たてまえは、外に向かっては平和主義を確立し、内に向かっては民主政治を実行することにある。民主政治の実行は、国民主権と基本的人権の尊重という二つの原理によって運営されるから、日本国憲法の基本原理は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義であるといえる。国民主権とは、主権は国民にあるという原理をいい、国民は「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するのであって、代表民主制がたてまえである。基本的人権の尊重とは、個人を個人として尊重しようという原理であり、国民ひとりひとりの生命や自由をたいせつに保護するのがその目的である。また平和国家の実現のために、戦争の放棄と戦力の不保持を規定している。各章の内容は概略次のとおりである。

[池田政章]

前文

世界各国の憲法では、その憲法の制定目的、基本原理、制定者の覚悟などを前文で掲げるのが通例であり、日本国憲法も相当に長い前文をもっている。四節からなり、そこでは国民主権、民主主義、平和主義、国際協調主義について述べている。この前文は形式上、憲法の一部をなすものである。

[池田政章]

天皇

太平洋戦争が終結したとき、天皇制について廃止論があったが、日本国憲法は、天皇を国と国民の統合の象徴として存置し、第1章(1条~8条)をこれにあてた。その地位は世襲制であるが、「主権の存する日本国民の総意に基く」ものとされる。天皇は憲法の定める国事行為だけを行い、国政に関する権能はこれを有しない。しかも国事行為にはすべて「内閣の助言と承認」を必要とし、それについての責任は内閣が負う。こうして天皇のもつ権能はまったく儀礼的なものにすぎなくなった。

[池田政章]

戦争の放棄

日本国憲法の諸規定のなかで問題になっているのが、戦争放棄と戦力不保持を定めた第2章第9条である。朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)を機に警察予備隊が生まれ、やがて自衛隊に成長するに及んで、憲法第9条との関係が問題となった。政府は第9条を、侵略のための戦争を放棄し、侵略戦争のための軍隊を禁止したものと解釈し、自衛のための戦争は禁止されていない、また自衛のための武装である自衛隊は戦力に該当しないとして、自衛隊による再軍備は第9条に違反しない(違憲ではない)と主張している。これに対し、野党のなかにはこれに強く反対し、自衛隊は第9条に違反すると主張するものがある。両者の論争は、再軍備開始以来、今日まで続いているが、現実には自衛隊の強化が進められ、現在では、日本はアジアにおける自由主義陣営の砦(とりで)の一端を担う重要な軍備国となっている。

[池田政章]

国民の権利及び義務

第3章「国民の権利及び義務」(10条~40条)は、基本的人権を中心として、そのほかの国民の権利と義務を定めている。明治憲法の第2章「臣民権利義務」に相当する部分であるが、それに比べ、保障される人権の範囲は大幅に拡大され、その保障の仕方も徹底している。

 基本的人権としては、各種の自由権のほか、参政権、社会権などが定められている。参政権は国民主権の原理から導かれる当然の帰結であり、社会権は憲法の社会国家としての理念を表現するものとして重要である。これらの人権は、最終的には裁判所の法令審査権(違憲立法審査権)によって保障されるよう配慮され、それだけその実効性は高くなっている。

[池田政章]

国会

日本国憲法の国会(第4章41条~64条)は、その地位が、明治憲法の帝国議会と比べてはるかに高い。国会は政治的意味において「国権の最高機関」であり、また「国の唯一の立法機関」として立法権をその手に独占するだけでなく、内閣総理大臣の指名権、内閣の不信任決議権など各種の政治に関する権能を有するとともに、弾劾裁判所を設けることができる。

 国会は両院制(二院制)をとるが、衆議院の優越を認める「跛行(はこう)的両院制」である。両議院とも、公選の議員によって構成されている。

[池田政章]

内閣

明治憲法では、内閣は憲法上の機関ではなく、勅令たる内閣官制によって定められ、行政権は天皇が有し、国務大臣は個別に天皇を輔弼(ほひつ)するにすぎなかった。これに対して、日本国憲法(第5章65条~75条)では、内閣は行政権を有し、天皇はまったくこれに関与しない。内閣の組織において、内閣総理大臣は首長として、他の国務大臣の任免権をもつなど、優越的な地位を有する。内閣総理大臣は国会が指名するが、衆議院の意思が優越するから、事実上衆議院が指名するのと同じで、衆議院で多数を占める政党の党首が内閣総理大臣に指名されることになる。

[池田政章]

裁判所

裁判所の地位・権限は、明治憲法に比べて非常に強くなった。明治憲法下では、司法裁判所の管轄する事件は民事事件と刑事事件であったが、日本国憲法(第6章76条~82条)では、行政事件も含めていっさいの法律上の争訟について裁判する。また司法権の自主独立を確保するために、最高裁判所に規則制定権を与えたほか、司法行政権も裁判所がこれを有する。とりわけ裁判所に法令審査権(違憲立法審査権)を与えたことは重要で、これによって憲法の規定に関する最終解釈権が裁判所(終局的には最高裁判所)に認められることになった。

[池田政章]

財政

明治憲法は「会計」の章を設けて、租税立法、国債、予算、決算などについて規定していたが、財政立憲主義についての例外も多く認められていた。これに対し日本国憲法(第7章83条~91条)では、財政立憲主義をいっそう推し進めて、例外を一掃し、いわゆる国会中心主義を確立した。それは、租税法律主義、および国の債務負担行為、予算は国会の議決によらなければならないことなどに具体化されている。

[池田政章]

地方自治

明治憲法には地方自治に関する規定はなく、地方政治に関する定めはすべて法律にゆだねられていた。しかし日本国憲法は、とくに1章(第8章92条~95条)を設けて地方自治について規定した。つまり地方自治は憲法上の制度として保障されたのである。その制度はなによりもまず「地方自治の本旨」に基づいて定められなくてはならないのであり、とりわけ地方公共団体の長および議会の議員は住民の選挙で選出すること、地方議会は条例制定権を有することなどが定められている。

[池田政章]

憲法改正

憲法改正(第9章96条)は、各議院の総議員(現に在任する議員)の3分の2以上の賛成で国会が発議したうえで、国民投票に付し、その過半数の賛成を必要とする。現在まで改正は行われたことはないが、朝鮮戦争を契機として、再軍備が始まるとともに憲法改正論が生まれ現在に至るまで議論されてきた。

[池田政章]

最高法規

法理論上、憲法は最高の効力を有するとされるが、日本国憲法は1章(第10章97条~99条)を設けて、このことを裏打ちした。そこには、憲法が保障する基本的人権は侵すことのできない永久の権利であること、憲法に反する法律やその他の国の機関の行為は無効であること、天皇および大臣などすべての公務員には憲法を尊重擁護する義務があることが規定されている。

 以上のような日本国憲法の内容を具体化するため、皇室典範、皇室経済法、国籍法、請願法、教育基本法、国会法、公職選挙法、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、裁判所法、検察庁法、財政法、会計法、会計検査院法、地方自治法などの法律が定められており、それらを含めて「実質的意味の憲法」と称せられる。

[池田政章]

『佐藤功著『日本国憲法概説』全訂第三版(1985・学陽書房)』『橋本公旦著『日本国憲法』(1980・有斐閣)』『長谷川正安著『日本の憲法』第二版(岩波新書)』

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百科事典マイペディア 「日本国憲法」の意味・わかりやすい解説

日本国憲法【にほんこくけんぽう】

日本の現行憲法(1946年11月3日公布,1947年5月3日施行)。太平洋戦争で降伏した日本は,ポツダム宣言に沿って大日本帝国憲法を改正する必要があったが,日本の政府側改正案は旧憲法の骨子を残したものであったため,連合国最高司令官マッカーサーはその幕僚に起草させた草案を日本政府に交付した。これに基づき第1次吉田茂内閣の起草した憲法草案が第90帝国議会に提出され,わずかの修正を経て可決された。憲法の根本原理を述べた前文のほか11章,103条からなる。旧憲法の天皇主権を否定して国民主権に立ち,象徴としての天皇を認め,戦争を放棄して戦力を保持せず(戦争の放棄),侵すことのできない永久の権利として基本的人権を保障する。人権規定では自由権のみでなく生存権など社会権も保障。これらの原則を実現するために三権分立を徹底させ,立法権は国会のみに与え,行政権は議院内閣制による内閣に行使させ,司法権の独立を強め,裁判所の違憲立法審査権を規定。また地方自治の強化を定める。憲法改正は,衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し,国民投票に付しその過半数の賛成で成立する。しかし憲法改正原案の提出手続きや国民投票の投票権者・投票方法については規定されていない。第一次安倍晋三内閣は,2007年憲法改正原案の国会提出の要件,投票権者等を定める国民投票法を成立させ同年5月公布した。→憲法改正論
→関連項目解釈改憲学問の自由教育基本法憲法ゴードン児童憲章昭和天皇天皇内閣総理大臣日本吉田茂内閣

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日本国憲法」の解説

日本国憲法
にほんこくけんぽう

1946年(昭和21)11月3日公布,翌年5月3日施行された現行憲法。形式上は,大日本帝国憲法第73条の改正手続きにもとづき,枢密院への諮詢(しじゅん),第90帝国議会での議決により成立した。大日本帝国憲法が民主的改革に障害であるとみたマッカーサーは,GHQの方針を牽制しうる極東委員会成立前に新憲法を制定しようと考えていた。46年1月幣原(しではら)内閣の国務相松本烝治(じょうじ)を委員長とする憲法問題調査委員会が草案を起草したが,国民主権・非軍事化の点で不十分だとしてGHQは拒絶,2月以後民政局ベースの起草が開始された。民間の憲法草案も発表され,憲法研究会の草案のみが国民主権を明示していたこともあり,総司令部に影響を与えたといわれる。同年3月6日,政府はGHQ案にもとづく「憲法改正草案要綱」を発表,多少の修正をへて日本国憲法案を得た。日本国憲法は11章103条からなり,国民主権,戦力不保持と交戦権の否認を含む徹底した平和主義,基本的人権の尊重,地方自治の保障などを内容とする。また議院内閣制をとり,司法権の独立も保障している。第9条の戦争放棄の条文と自衛隊との整合性をめぐる論議や,占領軍の押しつけ憲法であるから改憲せよとの論議もあるが,おおむね戦後日本の社会に定着している。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本国憲法」の意味・わかりやすい解説

日本国憲法
にほんこくけんぽう

現在の日本の国家形態,統治組織,統治作用を規定している憲法典。前文,11章 103条からなる。1946年11月3日公布,翌 1947年5月3日施行。日本が第2次世界大戦で連合国側に無条件降伏をしたことにより,占領軍総司令部の強力な指示,示唆のもとに,総司令部の憲法草案に依拠してできあがったもので,日本の民主的変革の基本原理を提供した。その特色は (1) 国家形態としては象徴天皇制をとるが,憲法構成原理としては国民主権が徹底されている(1章),(2) 国権の発動としての戦争を放棄し,その手段としての戦力を保持しない(2章),(3) 基本的人権を国民に保障している(3章),(4) 地方自治を保障している(8章),(5) これらを実現する政治制度として,議院内閣制を採用し(4,5章),また違憲立法審査権を裁判所に認め,法の支配を確認している(6章)。(→憲法

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旺文社日本史事典 三訂版 「日本国憲法」の解説

日本国憲法
にほんこくけんぽう

1946(昭和21)年11月3日公布,翌'47年5月3日から施行された現行の憲法
1945年ポツダム宣言の受諾に伴い,日本の民主化・非軍事化は方向づけられたが,GHQの指示に基づき,同年10月幣原喜重郎 (しではらきじゆうろう) 首相は,松本烝治 (じようじ) ・金森徳次郎らに命じ,憲法改正に着手した。民間側でも,高野岩三郎・尾崎行雄らが草案を発表した。政府はGHQの助言をうけ,草案を作成し,'46年6月大日本帝国憲法の改正という手続きで第90臨時国会に提出。特に主権在民の項を明確にして可決された。前文と11章103条からなり,国民主権,象徴天皇制,戦争放棄,基本的人権の尊重などを規定した。

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世界大百科事典(旧版)内の日本国憲法の言及

【基本的人権】より

…人間の尊厳と個人の尊重を社会の基本的価値とする個人主義の国家観の導入である。日本国憲法(1946公布)が保障する基本的人権は,〈人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたもの〉(97条)であり,憲法は,過去における人権抑圧に対する反省から,また諸外国における人権保障の成果に学び,20世紀半ばのもっとも充実した人権のカタログを整備している。 憲法第3章では,〈国民の権利および義務〉と題して,はじめに総則的規定(10~13条)がおかれ,法の下の平等(14条)が続き,参政権(15条),受益権(16,17条),精神活動および経済活動に関する個別的な自由権(18~24,29条),社会権(25~28条),刑事裁判に関する規定(31~40条)があり,ほかに国民の義務を定めた規定(26,27,30条)が含まれている。…

【憲法改正】より

…明治憲法は,改正手続(73条)として,議事・議決の要件を普通の立法手続に比べて加重するとともに,改正の発案権を統治権を総攬(そうらん)する天皇に専属させ,基本的に(1)型を採用していた。これに対して日本国憲法は,改正手続(96条)として,〈各議院の総議員の三分の二以上の賛成〉による国会の発議と,国民投票での過半数の賛成による承認を要するものと定め,(3)型を採用している。改正の方法は,憲法の基本原理と密接な関係をもっていることに注意する必要がある。…

【国民代表】より

…普通選挙制度,代表関係の正確性,公約による選挙,会議の公開,知る権利などの展開・導入は,このことを示している。
[日本の場合]
 日本国憲法がどちらの国民代表概念をとっているかも問題となる。第1の概念につながりやすい43条1項(全国民の代表)や51条(発言・表決の自由の保障)もあるが,15条1項(公務員の選定罷免権),同3項(普通選挙制度),同4項(投票の秘密と無答責),44条(選挙人・議員の資格の平等),57条(会議の公開)などからすれば,第2の概念をとっているというべきであり,関連規定の意味も,この立場から確定されるべきであろう。…

【人権宣言】より

…明治憲法は日本でのはじめての人権宣言ともいうべき臣民の権利を保障する諸規定を含んでいたが,それは人が生れながらに有する権利を確認するというよりも,天皇から恩恵として与えられた外見的人権宣言の名にふさわしいものであった。日本国憲法の成立は,〈言論,宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重〉の確立を要求していたポツダム宣言の受諾に由来しており,この憲法により固有の意味での人権宣言が日本に生まれるのである。すなわち第3章〈国民の権利及び義務〉(10~40条)は自由権,平等権,社会権,受益権および参政権よりなる現代の基本的人権をおもな内容としており,20世紀中葉のもっとも完備した人権宣言の一つに数えられる。…

【天皇】より

…日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。
〔天皇の歴史〕

【前近代の天皇】

[オオキミとスメラミコト]
 〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。…

【法制史】より

…占領は,日本の主権を連合国最高司令官の下においたが,占領形態は軍政ではなく間接統治方式をとった。戦後改革は,日本軍国主義の駆逐,戦争犯罪人の処罰と民主主義的傾向の復活強化,再軍備禁止などを主たる内容とするポツダム宣言を基本とし,1945年10月の五大改革の指令(婦人の解放と参政権,労働組合の結成奨励,学校教育の自由主義化,専制政治の廃止,独占禁止と経済機構の民主化)などによって進められ,47年5月3日施行の日本国憲法とそれに基づく諸法令に集大成された。戦後改革は,立法,司法,行政の諸制度の改革をはじめ,財閥解体,農地改革,労働改革,教育改革,家族制度改革など,国家と社会の全面にわたる巨大なものであった。…

【法の支配】より

… 法の支配の精神は,第2次大戦後,ナチスが法実証主義的にはまったく正統なルートを通して政権に就き,圧政を行いえたことに対する反省もあって,英米法系以外の国でも,しばしば口にされるようになった,世界人権宣言(1948)の前文3項が〈法の支配によって人権を保護することが肝要である〉とうたっているのも,法の支配の精神の国際化の一つのあらわれということができよう。 日本国憲法が,違憲立法審査制度を採用し,かつ,明治憲法のもとでとられていた行政裁判所制度を採用せず行政事件も最終的には通常裁判所の判断を受けるべきものとしたことも,立法権・行政権の濫用を防止しようという〈法の支配〉の精神に基づいたものである。このように権力の濫用の防止が通常裁判所に託されることも,英米的な〈法の支配〉の伝統に由来するものであり,この点において,日本国憲法のもとでの司法部の役割は,明治憲法のもとにおけるそれよりもはるかに重要なものになっていることに注意しなければならない。…

※「日本国憲法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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