デジタル大辞泉 「富沢有為男」の意味・読み・例文・類語 とみさわ‐ういお〔とみさはウヰを〕【富沢有為男】 [1902~1970]小説家・画家。大分の生まれ。東京美術学校中退後、新愛知新聞の漫画記者となる。「地中海」で芥川賞受賞。他に「白い壁画」「侠骨きょうこつ一代」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「富沢有為男」の解説 富沢 有為男トミサワ ウイオ 大正・昭和期の画家,小説家 生年明治35(1902)年3月29日 没年昭和45(1970)年1月15日 出生地大分県大分市 学歴〔年〕東京美術学校西洋画科中退 主な受賞名〔年〕芥川賞(第4回)〔昭和11年〕「地中海」 経歴岡田三郎助に師事。大正9年新愛知新聞入社。昭和2年渡仏、4年帰国。10年帝展初入選。井伏鱒二らと親しくなり、佐藤春夫に知遇される。11年美術誌「東陽」に「地中海」を発表し、第4回芥川賞受賞。12年「地中海・法廷」、13年武漢作戦従軍記「中支戦線」を中央公論に発表、以後右傾化。14年尾崎士郎らと「文芸日本」を創刊。戦後「俠骨一代」が高倉健主演で映画化された。他の作品に長篇「白い壁画」、作品集に「法律の轍」「ふるさと」「富沢有為男選集」(集団形星刊)、評論集「芸術論」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「富沢有為男」の意味・わかりやすい解説 富沢有為男とみざわういお(1902―1970) 小説家。大分市生まれ。東京美術学校中退。画家を志して岡田三郎助(さぶろうすけ)に師事し、のちに渡仏するが、かたわら佐藤春夫の知遇も得て文学活動も行い、美術雑誌『東陽』に発表したパリ留学を描く『地中海』(1936)が芥川(あくたがわ)賞を受賞。ペン部隊に参加した体験をもとに書いた『東洋』(1939)が議論をよび、報道班員として南方へも赴いた。第二次世界大戦後は大衆小説を書いた。[都築久義]『『富沢有為男選集』全一巻(1970・集団形星)』 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富沢有為男」の解説 富沢有為男 とみさわ-ういお 1902-1970 大正-昭和時代の洋画家,小説家。明治35年3月29日生まれ。東京美術学校(現東京芸大)で岡田三郎助(さぶろうすけ)にまなぶが中退,新愛知新聞の漫画記者となる。大正11年帝展初入選。かたわら佐藤春夫に師事し,昭和12年「地中海」で芥川賞。32年長編小説「白い壁画」を刊行した。昭和45年1月15日死去。67歳。大分県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「富沢有為男」の解説 富沢 有為男 (とみさわ ういお) 生年月日:1902年3月29日大正時代;昭和時代の画家;小説家1970年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by