寛欽入道親王(読み)かんきんにゅうどうしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寛欽入道親王」の解説

寛欽入道親王 かんきんにゅうどうしんのう

1514-1563 戦国時代,貞敦親王王子
永正(えいしょう)11年生まれ。後奈良天皇猶子天文(てんぶん)元年(1532)親王勧修(かじゅう)寺の海覚法親王のもとで出家。同寺の長吏となり,安祥寺,天平寺の検校をかねた。8年慈尊院の実尊から灌頂(かんじょう)をうけた。永禄(えいろく)6年11月11日死去。50歳。号は後染王院。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android