寺岡村
てらおかむら
[現在地名]住吉区
長居西一―三丁目・長居一―四丁目・
長居東四丁目、阿倍野区
阪南町六―七丁目、東住吉区
長居公園など
現住吉区の北東部に位置し、西は住吉村。江戸初期には夙村といった。地形は西は我孫子台地に連なり、東もやや高地をなす。村の北東部に大御池があったが、一説ではこれを古詠に知られた長居池とする。「摂津名所図会」に「長居池 住吉の東、寺岡・田辺の辺といふ」とみえる。村名はかつてこの地の丘陵に寺院があったことに由来すると伝える。当地付近は南北朝から戦国期にかけて幾度か合戦場となった。当地もしばしば陣所となったといい、また一時は砦が築かれたといわれ、櫓の下などの字名はその名残と伝える。
寺岡村
てらおかむら
[現在地名]足利市寺岡町
東を旗川、西を出流川が南流する低台地に位置し、西は駒場村・多田木村。村内を例幣使街道が通る。正和三年(一三一四)三月二八日の粟生敬願譲状写(尊経閣文庫所蔵文書)に足利庄「寺岡郷」とみえ、郷内の屋敷・給田畠が粟生盛広に譲られ、同年閏三月七日に足利貞氏によって所領を安堵されている。応永八年(一四〇一)一二月二三日には関東管領上杉朝宗の意向を受けて、同郷内の一部が借宿郷の「定光寺」に寄進されている(「関東公方足利満兼寄進状写」鑁阿寺文書)。永禄三年(一五六〇)八月二日の佐野昌綱書状(小野寺文書)によると、当地は佐野氏の支配下にあって、その被官小野寺景綱の所領であったが、昌綱は景綱に年貢・公事の徴収徹底を命じている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 