小多田村(読み)おただむら

日本歴史地名大系 「小多田村」の解説

小多田村
おただむら

[現在地名]黒瀬町小多田

村の北西境を黒瀬川が流れ、村域はその東南方に細長く広がるが、村内には北隣の国近森近くにちかもりちか村や、西隣の宗近柳国むねちかやなくに村の飛郷が入組み、南東女子畑おなごばた(現豊田郡安浦町)に大きく突き出す。山がちで、南東は標高四〇〇メートル以上の山地となる。「芸藩通志」は「村内にも山多く、助実・保田五日市と三に分る」とある。他村の飛郷によって村が助実すけざね保田やすだ五日市いつかいちに分けられていたことが知れる。北西流する三つの小流があるが用水としては不足し、干害の患があるとも記される。


小多田村
おただむら

[現在地名]篠山市小多田

池上いけがみ村の南東に位置し、南西部に火打ひうちヶ嶽がある。中世には小多田保とみえる。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「小多田村」とみえ、高一千四七石余。正保郷帳では田高七〇四石余・畠高四二石余。元禄郷帳では高七五六石余。「丹波志」ではみなみノ庄のうちで、高六九三石余。明和八年(一七七一)の篠山全藩一揆では百姓の藤兵衛らが五〇日手鎖などに処されている(安永三年「多紀郡中強訴一件仕置相伺候書付案」小林家文書)。天明三年(一七八三)の篠山領内高並家数人数里数記では小多田組で、東小多田村として家数四七・人数二一三、西小多田村として家数五二・人数二三五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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