小川清彦(読み)おがわきよひこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小川清彦」の意味・わかりやすい解説

小川清彦
おがわきよひこ
(1882―1950)

天文学者暦学者。東京・麹町(こうじまち)に、臼杵(うすき)藩士長男として生まれた。物理学校(現、東京理科大学)卒業後、1902年(明治35)東京天文台に入り、暦・潮汐(ちょうせき)の計算ならびに研究従事、1907年東京帝国大学理科大学助手となり、かたわら測地学委員会嘱託となった。暦算に興味をもち、ことに日本古暦法研究の先駆者であり、『日本書紀暦術の研究』は高く評価される。この書は戦時下では公刊をはばかるところがあり、戦後私版で一部の人に発表された。古文学に現れた天文学的記事の独自の研究や、暦学に関する多くの論文を発表した。

[渡辺敏夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「小川清彦」の解説

小川 清彦
オガワ キヨヒコ

明治〜昭和期の天文学者 東京帝大理科大助手。



生年
明治15(1882)年10月2日

没年
昭和25(1950)年1月10日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京物理学校

経歴
東京天文台に入り、暦や潮汐の研究に従事。明治40年東京帝大理科大助手となった。その傍らで暦学史に関する多くの論文を発表。特に昭和21年の「日本書紀の暦日について」では、従来の説を否定し、「日本書紀」編纂当時の暦法を用いて日本神武紀元の暦日を解釈するという新説を唱えた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川清彦」の解説

小川清彦 おがわ-きよひこ

1882-1950 明治-昭和時代の天文学者。
明治15年10月2日生まれ。東京天文台に勤務し,暦,潮汐(ちょうせき)の研究にたずさわる。明治40年東京帝大理科大助手。日本古暦法についての「日本書紀の暦日に就て」などおおくの論文を発表した。昭和25年1月10日死去。67歳。東京出身。東京物理学校(現東京理大)卒。

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