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小杉榲邨 こすぎ おんそん

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美術人名辞典の解説

小杉榲邨

歌人・国文学者。阿波生。通称は五郎、号は杉園。昭真の子。本居豊穎門人。江戸に出て勤王論を唱え、一時捕われるが、のち教務省・文部省に出仕して、『古事類苑』の編纂に従う。大師流の書を能くした。大麻神社宮司・御歌所参候・東大講師・東美校教授等を務めた。明治43年(1910)歿、77才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小杉榲邨 こすぎ-すぎむら

1835*-1910 明治時代の国文学者,日本史学者。
天保(てんぽう)5年12月30日生まれ。阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀氏の陪臣。江戸で古典などをまなび,尊攘(そんじょう)運動にくわわる。維新後は文部省で「古事類苑」を編集し,明治15年東京大学講師,32年東京美術学校(現東京芸大)教授。帝国博物館にも勤務し,美術品の調査や保存にあたる。明治43年3月29日死去。77歳。号は杉園(さんえん)。編著に「阿波国徴古雑抄」など。

小杉榲邨 こすぎ-おんそん

こすぎ-すぎむら

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

小杉榲邨

没年:明治43.3.29(1910)
生年:天保5.9(1834)
明治時代の国文学者,国史学者,歌人。号は杉園。阿波(徳島)生まれ。父は五郎左衛門明真,母は縫子。安政1(1854)年,江戸に出て古典を学んだが,のちに勤王論を主張して幽閉される。明治7(1874)年,新政府の教部省に入り,さらに文部省に出仕して『古事類苑』の編集に従事。東京大学古典講習科講師(1882),東京美術学校教授(1899)などを歴任した。同34年,文学博士有職故実に造詣が深く,和歌にもすぐれ,古社寺保存国宝計画調査委員,御歌所参候なども務めた。『はるの一日』(1896),『千とせのあき』(1901)のような随筆風の著作にその人柄がうかがわれる。編書に『阿波国徴古雑抄』(1913)などがある。

(古田島洋介)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の小杉榲邨の言及

【法隆寺再建非再建論争】より

…同伽藍が日本最古の建造物であることから,建築史,美術史,日本史,考古学の諸家によって19世紀末から半世紀にわたって論争された。すでに早く1899年黒川真頼(まより)(1829‐1906)と小杉榲邨(すぎむら)(1834‐1910)が《日本書紀》天智9年(670)4月条の法隆寺全焼の記事によって,創建法隆寺は同年に焼亡し,現在の西院伽藍は和銅年間(708‐715)に再建したものという説を唱えたが,1905年関野貞(ただす)(1867‐1935)と平子鐸嶺(たくれい)(1877‐1911)が非再建説,喜田貞吉(1871‐1939)が再建説をそれぞれ主張して第1次論争が行われた。非再建説は飛鳥,白鳳,天平と変遷する建築様式論に基礎をおくが,特に西院伽藍建造の使用尺度が大化以前の高麗(こま)尺であるという関野の尺度論が重要な論拠となった。…

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出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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