日本大百科全書(ニッポニカ) 「小杉武久」の意味・わかりやすい解説
小杉武久
こすぎたけひさ
(1938―2018)
作曲家、演奏家、パフォーマンス・アーティスト。東京生まれ。1962年(昭和37)東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。在学中より即興演奏を始め、1960年、日本で最初の集団即興演奏グループ「グループ・音楽」を、塩見千枝子(後に允枝子(みえこ)、1938― )、刀根康尚(とねやすなお)らと結成、東京でハプニング・イベントを行った。1960年代前半にニューヨークに滞在し「フルクサス」に参加、数多くのイベント作品を発表する。『マイク1』(1961)は、スイッチの入ったマイクを大きな紙で包み、紙が徐々にもとの形に戻ろうとして開いていく際のガサガサという音を増幅するという作品。『アニマ2』(1962)は、行動できる空間を意図的に制限し、それにより時間・身体・空間を再認識させる作品である。また『South』(1962、1964、1965)と名づけられた三つの作品では、「South(南)」という言葉全体、またはそのある部分を、引き伸ばして、スローモーションのように発音する指示が書かれている。たとえば「South(南)第2番」(1964)では、「さうす」という言葉を「15分以上の時間をかけて」発音しなければならない。この指示により、「さ」「う」「す」というそれぞれの音節区別がほとんどなくなり、連続した音のつながりのように聞こえる。マイケル・ナイマンは、彼の著書『実験音楽』Experimental Music(1974)で「小杉の作品に見られる、身体性・時間・空間の概念は、特に日本の感性を反映している」と述べている。
1969年には即興演奏集団「タージ・マハル旅行団」を結成、さまざまな場所で演奏・パフォーマンスを行う。なかでも1974年岡山県大多府島(おおたぶじま)の海辺で一晩中演奏したパフォーマンスは有名である。1977年アメリカに移住。ジョン・ケージ、デビッド・テュードアに次いで、マース・カニンガム舞踊団の音楽監督に就任。ケージやテュードアは日常の音、自然な出来事、偶発性、空間など、さまざまな既存の概念に問いかける活動をしたが、小杉もその延長線上の活動を1960年代から続けてきた。同舞踊団の作曲家、演奏家として活躍するとともに、個人でも電子的なテクノロジーを使った作品を発表し、世界各国の芸術祭、コンサート、展覧会などへも数多く参加している。2002年(平成14)には、1975年に発表されたアルバム『キャッチ・ウェイブ』がCD化され、同年神奈川県立近代美術館で「今日の作家Ⅶ野中ユリ・小杉武久展」が行われた。
[小沼純一 2018年10月19日]
『マイケル・ナイマン著、椎名亮輔訳『実験音楽――ケージとその後』(1992・水声社)』