江戸時代の医師。山脇東洋(やまわきとうよう)とともに日本初の人体解剖を行った先駆者。若狭(わかさ)国(福井県)の人。名は在寛(ありひろ)、字(あざな)は敬見(けいけん)、号は玄適。若狭小浜(おばま)藩酒井忠用(ただもち)(1720―1775)の侍医であったが、1753年(宝暦3)古方(こほう)派の大家山脇東洋に入門、翌1754年、主君に願い出て死体を下げ渡され、これを解剖させ観察した。これはのちに山脇東洋が『蔵志(ぞうし)』として出版した。またその解剖後、杉田玄白(げんぱく)に人体解剖の実行を説くなど、先見の医家であった。
[矢数道明]
(蔵方宏昌)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…堂号を小詩仙堂,天真楼といった。官医西玄哲にオランダ流外科を学んだが,その水準にあきたらず,同藩の僚友小杉玄適が京都の山脇東洋に学んで江戸に帰り,東洋の人体解剖や京都の古医方派の動向を伝えたのに刺激され,家業とする外科領域で新しい道を開く志を立てた(22歳)。こうして,中国の外科書を総ざらいし病門を整理して納得できる治法を集め,それに玄白が見聞した日本の経験的薬方や治法を加えて《瘍家大成》の編述を企てた。…
※「小杉玄適」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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