日本の城がわかる事典 「小松城」の解説 こまつじょう【小松城】 石川県小松市にあった平城(ひらじろ)。現在の小松市街中心部に位置する低湿地に築かれた城で、何重もの堀をめぐらせて梯川の水を引き入れた水城(みずじろ)であった。1576年(天正4)に加賀一向一揆の若林長門によって築かれたといわれる城である。1579年(天正7)、小松城は織田信長の部将柴田勝家に攻められて落城し、村上義明が城主として入城した。1598年(慶長3)には丹羽長重が城主として入城したが、長重は1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで西軍に与したことから、戦後除封され、一帯は前田利長の所領となり、小松城は前田家の持ち城となって利長義兄の前田長種が城代として入城した。その後、1615年(元和1)の一国一城令により廃城となったが、1639年(寛永16)に、金沢藩第3代藩主の前田利常の隠居城として再建され、石垣の建設や二の丸・三の丸の増築などの大規模な改修が行われた。3層の天守があったが、戦闘を意識したものではなく、寄席棟造りの桧皮葺きの瀟洒な建物であったといわれている。1658年(万治1)に利常が没した後は、金沢城の支城として城番が置かれ明治維新を迎えたが、1872年(明治5)に廃城となった。かつての城域には小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校などが建設されたため、多くの遺構が失われた。本丸・二の丸跡に建てられた小松高校のグラウンドの一角に小松城の天守台と内堀跡の石垣の一部が残っているほか、鰻橋御門が市内の来生寺の山門として移築され現存している。また、兎御門扉と葭島御殿兎門扉が金沢市の成巽閣(せいそんかく)に、二階御亭入口扉が小松市立博物館に、それぞれ保管され現存している。JR北陸本線小松駅から徒歩約20分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報