小林珍雄(読み)コバヤシ ヨシオ

20世紀日本人名事典 「小林珍雄」の解説

小林 珍雄
コバヤシ ヨシオ

昭和期のカトリック経済学者 上智大学名誉教授。



生年
明治35(1902)年3月2日

没年
昭和55(1980)年4月10日

出生地
神奈川県横浜市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学政治学科〔大正15年〕卒,東京帝大大学院

主な受賞名〔年〕
バチカン帝国大グレゴリオ騎士団団長勲章〔昭和50年〕

経歴
法学部卒後、病気静養ののち宗教学科に学士入学するが中退、大学院で法学を専攻南原繁師事。昭和6年神父J.クラウスより受洗。6〜8年スイス、フランスに留学キリスト教の組合運動を研究。10〜11年ドイツに留学、帰国後「カトリック大辞典」の編纂委員となる。上智大学経済学部教授となり、29〜40年経済学部長、36〜40年理事、47年退職。また13年岳父中村三郎が校長であった中村高女講師となり、22年校長を兼任、30年まで中村高等学校理事長も兼ねた。他に27〜33年文化放送初代編成局長。著書に「宗教と政治」「法王庁」などの他、訳書は約100冊に及ぶ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小林珍雄」の意味・わかりやすい解説

小林珍雄
こばやしよしお

[生]1902.3.2. 横浜
[没]1980.4.10. 東京
カトリックの宗教社会学者。 1926年東京帝国大学法学部卒業。 31~33年,35~36年フランス,ドイツに留学。岩下壮一影響洗礼を受け,その「カトリックに市民権を」の理念に共鳴して,カトリシズムの紹介普及に努めた。 38年上智大学に奉職,予科長,経済学部長などを経て名誉教授。 48年以降は,中村中学・高校理事長,校長をも兼ねた。『キリスト教百科事典』 (1960) などを編纂,61年以降は『岩下壮一全集』 (9巻) を編集。ほかに『法王庁』 (66) など百余の著訳書がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林珍雄」の解説

小林珍雄 こばやし-よしお

1902-1980 昭和時代の宗教学者。
明治35年3月2日生まれ。岩下壮一の影響で昭和6年洗礼をうける。「カトリック大辞典」編集委員をつとめる。13年上智大教授,29年同大経済学部長,36年上智学院理事。昭和55年4月10日死去。78歳。神奈川県出身。東京帝大卒。著作に「宗教と政治」「法王庁」,編著に「キリスト教百科事典」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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