日本大百科全書(ニッポニカ) 「小町伝説」の意味・わかりやすい解説
小町伝説
こまちでんせつ
平安前期の女流歌人で代表的美人とされた小野小町の伝説。老後の落魄(らくはく)を語ったものが多い。晩年、乞食(こじき)になって流浪し路傍に野ざらしとなったという口碑(こうひ)は、全国に伝承され、彼女を葬った小町塚や小町堂、小町仏などの遺跡が各地に散在している。美人零落を記した書としては、古く『玉造壮衰書(たまつくりそうすいしょ)』があり、『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』巻5や『徒然草(つれづれぐさ)』にも、本書を引用した記事が抄出される。
美女落魄の姿として謡曲「卒都婆(そとば)小町」「関寺(せきでら)小町」「鸚鵡(おうむ)小町」などにも脚色されている。『小町物語』『古事談』『無名抄(むみょうしょう)』にも収載され、小町落魄伝説が古くから行われたことが理解できる。美女の屍相(しそう)を描いた中世仏教の九相図に似て、当代無常観に迎合しやすかったのであろう。そのほか、愛媛県松山市小野町の小野山梅元(ばいげん)寺には、小野薬師による住吉明神(すみよしみょうじん)のお告げによる小町病気平癒の歌徳伝説がある。群馬県甘楽(かんら)郡や岡山県などにも類似の小町瘡疾(そうしつ)快癒の歌徳伝説を伝える。和歌の徳にまつわる小町伝説は、和泉(いずみ)式部のそれに類似して多い。
小町の名には、マチ→マウチギミである祭祀(さいし)聖職者の意があり、小野氏から出た采女(うねめ)の世襲名といわれる。全国に多い小町の生誕、滞在、終焉(しゅうえん)の地は、小野氏の流れをくむ宗教文芸の唱導者たちの堕落によっての遊行女婦(うかれめ)たちの語りや芸能が、自己の乞食化と並行して伝播(でんぱ)されたのであろう。小野小町を出した近江(おうみ)小野氏も、全国に移住した家柄で、古代語部(かたりべ)の猿女(さるめ)氏と縁組みしたことが『類聚三代格(るいじゅうさんだいきゃく)』にみえる。
[渡邊昭五]