小笠原持長(読み)おがさわら もちなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小笠原持長」の解説

小笠原持長(2) おがさわら-もちなが

1396-1462 室町時代武将
応永3年6月22日生まれ。小笠原長将(ながまさ)の子。叔父小笠原政康の没後,信濃(しなの)守護職(しき)をついだその子宗康と家督をあらそい,文安3年宗康を討つ。一時信濃守護となったが,幕府が宗康の弟光康の家督相続をみとめたため,以後小笠原家は分裂抗争がつづいた。寛正(かんしょう)3年6月15日死去。67歳。

小笠原持長(1) おがさわら-もちなが

1384-1458 室町時代の武将,有職(ゆうそく)家。
至徳元=元中元年生まれ。小笠原満長(みつなが)の子。6代将軍足利義教(よしのり)の近習。小笠原流弓馬故実の基礎をつくった。歌人でもあり,清巌正徹(せいがん-しょうてつ)や心敬親交があった。長禄(ちょうろく)2年死去。75歳。法名は浄元。著作に「騎射秘抄」「笠懸日記」など。

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367日誕生日大事典 「小笠原持長」の解説

小笠原持長 (おがさわらもちなが)

生年月日:1396年6月22日
室町時代の武将;信濃守護
1462年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小笠原持長の言及

【小笠原流】より

…武家諸礼式,弓馬礼法の一流。小笠原氏の弓馬礼式に関して,従来の通説では,《寛政重修諸家譜》や《続群書類従》に収める〈小笠原系図〉の所説によって,鎌倉初期に清和源氏の末小笠原長清が,源頼朝・頼家に弓馬の秘法を伝授し,また長清5代の末貞宗は後醍醐天皇に《修身論》を献じ,その子政長が足利尊氏の師となり,以来,信濃守護小笠原家は長基が義満の師範,政康が義教の師範,持長が義政の師範を務めるなど,歴代将軍の弓馬師範となったとされている。…

※「小笠原持長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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