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心敬 しんけい

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美術人名辞典の解説

心敬

室町後期の連歌師・権大僧都。号は連海法師・連海坊・心恵・心教等。正徹に師事。家集に『心玉集』、著書に『ささめごと』『私用抄』等がある。文明7年(1475)歿、70才。

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デジタル大辞泉の解説

しんけい【心敬】

[1406~1475]室町中期の連歌師・歌人。京都十住心院の権大僧都。紀伊の人。和歌を正徹(しょうてつ)に学び、それを連歌にも生かそうとした。その作品は「新撰菟玖波集(つくばしゅう)」「竹林抄」に多数収録。連歌論「ささめごと」「ひとり言」など。

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百科事典マイペディアの解説

心敬【しんけい】

室町中期の歌人,連歌師。紀伊国に生まれ,幼時上洛。京都十住心院に住し,権大僧都に上る。和歌を正徹(しょうてつ)に学び,冷泉派の歌人として知られ,連歌作者としても当代を代表する存在となる。
→関連項目宗祇宗砌竹林抄幽玄連歌

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

心敬 しんけい

1406-1475 室町時代の僧,連歌師。
応永13年生まれ。京都十住心院の住職となり,権大僧都(ごんのだいそうず)にのぼる。清巌正徹(せいがん-しょうてつ)に和歌,古典をまなぶ。連歌界の中心的な存在となり,宗祇(そうぎ)らに影響をあたえた。文明7年4月16日死去。70歳。紀伊(きい)名草郡(和歌山県)出身。初名は心恵。号は連(蓮)海。著作に「ささめこと」など。
【格言など】常にけだかく寒き名歌,おなじく秀逸の詩聯句をならべて詠吟修行して,心をさび高くもてと也(「所々返答」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

心敬

没年:文明7.4.16(1475.5.20)
生年:応永13(1406)
室町時代の連歌師。初名,連海,心恵。紀伊国(和歌山県)名草郡田井庄に生まれ3歳で京都へ。仏門に入り,のち権大僧都,十住心院の住持となった。永享1(1429)年ごろから清巌正徹に師事,和歌を学んで大きな影響を受けた。連歌活動は同5年の北野万句に連海法師の名で参加したのが初出。文安4(1447)年前後からは高山宗砌,智蘊らと肩を並べ各所の連歌会で活躍,寛正4(1463)年には故郷で連歌論『ささめごと』を著作した。帰京後,名声は一層あがり,成仁親王(のちの後土御門天皇)の連歌会に召されたこともあった。応仁1(1467)年政情不安の都を去り伊勢へ下向,次いで海路武蔵国品川(東京都)に渡り草庵を構えた。駿河や白河へ旅行したり,太田道真(資清)主催の『河越千句』に飯尾宗祇らと共に一座したりしたが,文明3(1471)年相模国大山山麓の石蔵(伊勢原市)に隠棲,連歌論『老のくりごと』などを著し,同7年この地に没した。『新撰菟玖波集』には集中最多の125句が入集している。句集に『心玉集』『心敬僧都百句』,連歌論に上記のもののほか『ひとりごと』『所々返答』などがある。その連歌は清新で人生観照の深みがあり,連歌論は和歌,連歌,仏道の一如観(本質は,同じであるということ)を説き,気品ある文章で独自の風格を備えている。<参考文献>荒木良雄『心敬』,木藤才蔵『連歌史論考』上,金子金治郎『心敬の生活と作品』

(沢井耐三)

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世界大百科事典 第2版の解説

しんけい【心敬】

1406‐75(応永13‐文明7)
室町中期の連歌師,歌人。連海,心恵,心教とも。紀伊国に生まれ,幼時上洛して僧となり権大僧都に至る。正徹(しようてつ)に師事して冷泉(れいぜい)派の歌人として知られるかたわら,1433年(永享5)〈北野万句〉に一座するなど,連歌作者としてしだいに時代を代表する存在となる。作風は正徹ゆずりの新古今風を基礎に,表現対象の凝視と表現主体の沈潜とを重視する独特のもので,〈ひえやせたる〉風趣のうちに特異な感覚の冴え方を示す。

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大辞林 第三版の解説

しんけい【心敬】

1406~1475) 室町中期の連歌師・歌人。権大僧都。初名、心恵。紀伊の人。京都十住心院住持。和歌を正徹しようてつに学び、連歌界の中心人物として活躍。美と宗教との調和を求めたその句風や連歌論は、のちの宗祇などに影響を与えた。句集「心玉集」「芝草」、連歌論「ささめごと」「所々返答」「ひとりごと」「老のくりごと」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

心敬
しんけい

[生]応永13(1406).紀伊
[没]文明7(1475).4.16. 相模,大山
室町時代の連歌作者,歌人。初め心恵といった。十住心院の住持で権大僧都。正徹に和歌を学んだが,連歌のほうに天賦の才を発揮した。正徹の没後,紀州に下向したとき,『さゝめごと』を著わした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

心敬
しんけい
(1406―1475)

室町中期の連歌師(れんがし)、歌人。権大僧都(ごんのだいそうず)。連海法師とも称した。前名、心恵。紀伊国(きいのくに)名草(なぐさ)郡田井庄(しょう)(和歌山市)に生まれ、3歳のときに上洛(じょうらく)し僧となる。叡山(えいざん)の横川(よかわ)で修行し、京都の音羽山麓(おとわさんろく)十住心院(じゅうじゅうしんいん)に入る。連歌の師承は不明であるが、和歌を正徹(しょうてつ)に学び、もっぱらその教えを連歌のうえにも実現しようとした。当時の連歌師の作風と異質のものをもち、応仁(おうにん)以前は早く1433年(永享5)の北野万句に加わっているものの、宗砌(そうぜい)はもとより、専順などよりも、一座した作品の残っているものは少なく、むしろ傍流に位置していた。67年(応仁1)4月、伊勢(いせ)下向、鈴木長敏(ながとし)の誘いによりそのまま海路相模(さがみ)の品川に向かい、以後、応仁の大乱のために帰洛を志しつつ関東にとどまり、太田道真(どうしん)ら武将に和歌、連歌を指導、71年(文明3)夏、相模の大山に入り、その地で没した。この関東流寓(りゅうぐう)中に、おりしも下向した宗祇(そうぎ)が、その草庵(そうあん)を訪ねて教えを受け、その作風を高く推奨したことにより、連歌史の主流に位置づけられるようになる。1463年(寛正4)に郷里田井庄で上巻を書いた『ささめごと』が主著で、その後の『ひとりごと』『老のくり言』『私用抄』などの著に、その和歌、連歌、仏教を一体としての理論が展開されている。作品は『心玉集』『芝草』などに収められ、自注を多く残している。鋭い感覚をもち、考え抜いた作風で、一座の作品にもきわめて個性的な面が強く出ている。[島津忠夫]
『金子金治郎著『心敬の生活と作品』(1982・桜楓社)』

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世界大百科事典内の心敬の言及

【艶】より

…藤原俊成の意識した艶の美には,《源氏物語》の〈もののあはれ〉を受け継ぎ,さらに余情美を求めようとする傾斜が認められる。中世以降には艶を内面化しようとする傾向が強まり,心敬の連歌論《ささめごと》などに見える〈心の艶〉〈冷艶〉の美は,その極致とされる。艶の句について,〈艶といへばとて,ひとへに句の姿,言葉のやさばみたるにはあるべからず。…

【ささめごと】より

…連歌論。心敬著。1463年(寛正4),心敬が郷里の紀州田井庄(現,和歌山市)に下向したとき,土地の人々の求めに応じて書き与えたものが原形で,のち何度か増補・改編されたため異本が多い。…

【細み】より

………細みは句意にあり〉(《去来抄》)といい,芭蕉が路通の〈鳥共も寝入てゐるか余吾(よご)の海〉という句を〈此句細みあり〉と評したと伝えている。早く中世においては俊成などが〈心深し〉〈心細し〉という評語をしきりに用い,作者の思い入る心の深さ,細さを称美しているが,連歌でも心敬がこれを承けて〈秀逸と侍ればとて,あながちに別の事にあらず。心をも細く艶にのどめて,世のあはれをも深く思ひ入れたる人の胸の中より出でたる句なるべし〉(《ささめごと》)といっている。…

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