尹潽善(読み)ユンボソン

デジタル大辞泉 「尹潽善」の意味・読み・例文・類語

ユン‐ボソン【尹潽善】

[1897~1990]韓国政治家。韓国独立後初のソウル市長などを経て、1960年、李承晩大統領失脚後、国会議員による間接選挙で第4代大統領に就任閣僚との対立から政権は安定せず、61年、朴正熙らのクーデターを招く。62年の辞任後も野党指導者として朴大統領に対抗。いんふぜん。→パクチョンヒ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尹潽善」の意味・わかりやすい解説

尹潽善
いんふぜん / ユンボソン
(1897―1990)

韓国の政治家、第4代大統領。忠清南道牙山生まれ。1920年上海(シャンハイ)韓国臨時政府に議政院議員として参加。1930年イギリスのエジンバラ大学卒業。1945年解放後、米軍政庁農商局顧問、1948年初代ソウル市長、1949年商工部長官、大韓赤十字社総裁となる。1954年民議院議員に当選後、民主党創立に参画、1959年同党最高委員。李承晩(りしょうばん/イスンマン)政権倒壊後の1960年8月大統領に就任。翌1961年5月軍事クーデターが起こるもあえて留任、翌1962年辞任。1965年、1967年と2回大統領選に出馬して朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)と争ったが、いずれも敗北した。1971年国民党を結成、1974年民主回復国民会議発起人となって、以後金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)とともに反朴民主勢力の旗頭として活躍した。1979年朴大統領暗殺後は、政界長老として全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)政権成立を助ける立場に回った。両班(ヤンバン)名家出の保守政治家の典型であり、長老教会派のクリスチャンとしても知られる。

玉城 素]

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世界大百科事典(旧版)内の尹潽善の言及

【大韓民国】より

…しかし政権永久化のために,大統領選出方法の国会議員による間接選挙から国民による直接選挙への変更,大統領任期の3選禁止条項の撤廃等の憲法改定を強引に行ったことが,かえって民衆の不満を集積させ,経済的危機を背景としつつ60年の学生を中心とする四月革命によって李政権は崩壊した。代わって成立した第2共和国では,李独裁体制への批判から,大統領権限を大幅に縮小した責任内閣制に転換し,李政権時代の野党(民主党)を基盤とする張勉政権(尹潽善大統領)が登場したが,四月革命を生起させた民衆のエネルギーは張政権の規制を乗りこえ,民主化と統一を求める運動は空前の高揚を示した。
[朴政権から全政権へ]
 こうして南北分断状況に新たな局面が開かれるかにみえたとき,61年5月16日に軍事クーデタ(五・一六クーデタ)が勃発し,軍人を主体とする朴正熙政権(第3共和国)が成立した。…

※「尹潽善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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