朝鮮の高麗(こうらい)・李朝(りちょう)時代における文・武の官僚の総称。958年、高麗は文官の一部を科挙によって地方豪族などから登用する制度を実施した。これに伴って中央集権的官僚体制が整備され、文官を文班、武官を武班と称し、あわせて両班とよぶようになった。李朝では文・武の官僚はほとんどが科挙を通じてなるようになり、両班官僚体制がいっそう整備された。両班の多くは地方の地主層でもあり、やがて、彼らの子孫、一族も両班とよばれるようになった。両班は力役や軍役の重い負担を免除される特権をもち、中央・地方の支配者として勢力を振るった。彼らは家門の来歴を示す族譜(ぞくふ)をつくり、身分を誇ったが、武班よりも文班が地位が高かった(文官優位)。18世紀後半以降、両班身分制も崩れ、のちには「旦那(だんな)」という程度の意味で使われたが、家系を重んずる韓国では、いまでも両班出身を誇りとする意識が根強い。
[矢澤康祐]
朝鮮の高麗(こうらい)・朝鮮王朝時代の官僚たちに対する歴史的呼称。高麗時代には現職官僚である文官(文班),武官(武班)を総称する言葉として使われたが,朝鮮王朝時代には官僚経験者の子孫をも意味するようになった。両班たちはみずから士族と自称した。朝鮮後期になると役負担を免除されるなどの特権を享受するとともに,科挙の受験を独占することになった。両班のなかでは文班の地位が圧倒的に高かったが,18~19世紀には没落するものも多かった。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
両序とも。禅院での役職を教学関係の西班(せいばん)衆と経理関係の東班衆にわけてよんだ区分。仏殿・法堂(はっとう)で僧侶が並ぶときの位置に由来する。西班(仏壇に向かって左側)は首座(しゅそ)・書記・知蔵・知客(しか)・知浴・知殿が,東班(右側)は都寺(つうす)・監寺(かんす)・副寺(ふうす)・維那(いのう)・典座(てんぞ)・直歳(しっすい)と並んだ。室町時代には経理や荘園経営を行う東班衆が禅院内で権力を握る傾向にあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
「ヤンバン(両班)」のページをご覧ください。
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