日本歴史地名大系 「尾札部村」の解説
尾札部村
おさつべむら
〔近世〕
寛政一二年「村並」になると、尾札部に頭取・小頭・百姓代、支郷椴法華・木直・川汲に小頭が置かれた(安政二年「東蝦夷地海岸図台帳」盛岡市中央公民館蔵など)。「休明光記」の文化二年(一八〇五)頃の記事によれば、箱館六箇場所の一所として「ヲサツベ ウスジリ シカベ」が並列で記されている。同八年の戸口は四四軒・一六九人(蝦夷地明細記)。文政期(一八一八―三〇)に南部三陸地方で発達した鮪建網(大謀網)が、天保年間(一八三〇―四四)に尾札部・臼尻に伝わり、六箇場所に普及した(北海道建網大謀網漁業発祥之地碑文)。「蝦夷日誌」(一編)によると浜続きの平場で、家八〇軒ほど、漁者のみ。小商人二、三軒。会所があり、「此家二代程会所を相勤、家も富栄けるよしニて、庭中ニ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報