山上の丸(読み)さんじようのまる

日本歴史地名大系 「山上の丸」の解説

山上の丸
さんじようのまる

久松きゆうしよう山の頂上にある郭で、池田長吉時代以前の城の中心であることからほん丸・御天守ごてんしゆつめの丸ともいったという。典型的な山城であり、頂上は大きく三段に切りならされ、まわりにも石垣が築かれていて単に天守閣だけの遺構ではない。天正元年(一五七三)八月の鳥取のたのも崩れの合戦の折、武田高信の軍は山上の丸に立籠ったといい、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の合戦後、城明渡しを拒否して籠城した宮部氏遺臣のうち、伊吹三左衛門が山上の丸を守ったとされる(因幡民談記)

山上の丸山頂には天正元年山名豊国が布施天神ふせてんじん山城から移した三重八棟造の天守櫓があったといわれ、慶長六年池田長吉が風により傷んでゆがみが多く出ていたため取壊し、新しく二重の櫓として建直したという。この時の棟梁若桜わかさ(現若桜町)の七右衛門と伝える(因幡民談記)。その後元禄五年(一六九二)一一月一一日この天守二階櫓に落雷があり焼失、以後再建されることはなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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