日本歴史地名大系 「山中越」の解説 山中越やまなかごえ 京都市:左京区山中越荒神口(こうじんぐち)(現上京区)を起点とし、白川(しらかわ)を抜け近江国山中を経て坂本(現大津市)に至る道の古名。志賀(しが)の山越・今道(いまみち)越ともよばれ、荒神口は、中世には「今道ノ下口」とよばれた。北国から京都へ入る主要路線で、「太平記」巻一七には「搦手ニハ、仁木・細河・今川・荒川ヲ大将トシテ、四国・中国ノ勢八万余騎、今道越ニ三石ノ麓ヲ経テ、無動寺ヘ寄ント志ス」とみえる。また応永初年頃には馬借が集住していたことが応永八年(一四〇一)「日吉社室町殿御社参記」にみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「山中越」の意味・わかりやすい解説 山中越やまなかごえ 滋賀県大津市の南滋賀町から田ノ谷峠を越え、山中町を経て京都市左京区北白川に通じる道。志賀越、白川越ともいう。古くは大津市坂本から山中を経て白川に出る峠道で、現在では主要地方道下鴨(しもがも)大津線が踏襲する。古来より京都から北陸や東国へ通じる近道として利用され、東海道(国道1号)のバイパスとしての役割を果たしてきた。比叡山(ひえいざん)ドライブウェイの登山道でもある。[高橋誠一] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例