山口八九子(読み)ヤマグチ ハチクシ

20世紀日本人名事典 「山口八九子」の解説

山口 八九子
ヤマグチ ハチクシ

大正・昭和期の日本画家,俳人



生年
明治23(1890)年1月11日

没年
昭和8(1933)年10月2日

出生地
京都府京都市上京区

本名
山口 直信

別名
別号=小遊,三樹洞主,紫陽花人,華王子,破竹亭

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校絵画科〔明治42年〕卒,京都市立絵画専門学校本科〔明治45年〕卒

経歴
春日絵所の娘であった祖母や、教育者で詩歌を趣味とした父らの影響もあって早くから絵画に親しんだ。京都市立美術工芸学校絵画科に学んだのち京都市立絵画専門学校に進学し、45年卒業。中国元・明時代の南画を研究しながら画技を研鑽。大正10年第3回帝展で「浜木綿」を出品して初入選し、以後も帝展で作品を発表した。また同年発足した日本南画院にも第一回展で「雲仙湯煙」で入選して以来、出品・入選をかさね、12年には同人となった。14年結核にかかり、和歌山に転地療養。昭和2年に京都に戻って第8回帝展に「海苔を採る」を出品して入選するも、病気の悪化により入院生活を余儀なくされた。4年に退院、以後も熱心に制作活動を続けるが、8年に病気が再発し、同年10月に京都で急逝した。絵画のみならず俳句にも優れ、「毎日新聞」京都俳壇の選者を担当するなど玄人はだしであった。その他の作品に「冬山入斧」「月夜」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口八九子」の解説

山口八九子 やまぐち-はちくし

1890-1933 大正-昭和時代前期の日本画家。
明治23年1月11日生まれ。大正10年帝展で「浜木綿(はまゆう)」が初入選。以後も同展で活躍。日本南画院にも第1回展より出品,12年同人となった。翌年京都鞍馬寺本堂襖(ふすま)に「牡丹(ぼたん)」をえがく。昭和8年10月2日死去。44歳。京都出身。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。本名は直信。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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