山口良忠
山口良忠 1913年生まれ。裁判官。日本に食料が足りなかった太平洋戦争中から戦後に、闇米を売買した人らを罰する裁判も担当していたため、自分も闇米を食べなかった。栄養失調で47年に死去。「法律を守って飢え死にした」と報道され、大きな反響を呼んだ。
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山口 良忠
ヤマグチ ヨシタダ
昭和期の裁判官 東京地裁判事。 ヤミ米を拒否して栄養失調死した裁判官。
- 生年
- 大正2(1913)年1月11日
- 没年
- 昭和22(1947)年10月11日
- 出生地
- 佐賀県白石町
- 学歴〔年〕
- 京都帝国大学法学部卒
- 経歴
- 大学卒業後、横浜地裁予備判事、甲府地裁判事を経て、昭和17年6月東京地裁判事となる。敗戦後の食糧難時代の21年、法を守るためヤミ米を口にせず、極度の栄養失調がもとで倒れ、郷里の佐賀県白石町で22年秋死亡した。当時の食糧統制法下、配給だけで汁をすする生活をしながら、経済事犯(ヤミ買い)で捕えられた人たちを裁き続けた上でのことで、枕元には「食糧統制法は悪法だが、ソクラテスが悪法に殉じた態度には敬服する。自分はどんなに苦しくとも、ヤミ買いはしない。ヤミと闘って餓死するのだ」という意味の遺書が残されていた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山口良忠 やまぐち-よしただ
1913-1947 昭和時代の裁判官。
大正2年1月11日生まれ。山口良吾の長男。東京地裁判事。敗戦後の食糧難の時期に,食糧管理法違反者をさばく立場からやみ米を拒否する。配給食糧だけで生活し,栄養失調から肺浸潤となり,昭和22年10月11日死去。35歳。佐賀県出身。京都帝大卒。
【格言など】自分はソクラテスならねど食糧統制法の下,喜んで餓死するつもりだ
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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山口 良忠 (やまぐち よしただ)
生年月日:1913年1月11日
昭和時代の裁判官
1947年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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