日本大百科全書(ニッポニカ) 「山県‐ロバノフ協定」の意味・わかりやすい解説
山県‐ロバノフ協定
やまがたろばのふきょうてい
1896年(明治29)6月9日、訪露していた山県有朋(ありとも)と、ロシア外相ロバノフとの間で、モスクワで調印された朝鮮問題に関する日露間議定書。翌年2月26日発表され、公開条項四か条と、秘密条項二か条からなる。公開条項では、〔1〕日露両国の朝鮮への財政援助、〔2〕朝鮮自身による軍隊および警察の創設、〔3〕日本の朝鮮内に現有する電信線の管理、ロシアのソウルから国境線までの電信線架設権の確認、〔4〕後日商議すべきことの生じた場合の友誼(ゆうぎ)的妥協、を取り決めた。また、秘密条項では、〔1〕将来朝鮮の秩序が乱れ、日露両国が出兵する際、日露両軍衝突の危険を避けるため、両国軍隊の間に空地をつくるなど用兵地域を確定する、〔2〕小村‐ウェバー協定(1896年5月14日調印、翌年2月26日発表)による朝鮮内における日露両軍の駐兵の継続、を協定した。
[中塚 明]