岡崎城跡
おかざきじようあと
伊勢原市と平塚市の境一帯に広がり、南方の西海地土腐とよばれる低湿地に突出した丘陵を利用した山城。鎌倉時代初期の三浦氏の一族岡崎義実の居城と伝え、現在も義実の墓と伝える石塔が残る。ただし、遺構から築城の時期が義実の時代にまでさかのぼるとは思われず、義実の居館は城の西側の御所ヶ谷・王御住・台などの居館に関連すると思われる字名が残る、南に向かって開口する谷の辺りに建てられたものか。
岡崎城跡
おかざきじようあと
[現在地名]新居浜市郷五丁目
現国鉄予讃本線の国領川鉄橋の南東岸、標高八四・四メートルの丘陵上にある戦国期の城跡。「西条誌」によれば、城の広さは、本丸は東西一八間、南北九間、二の丸は東西九間、南北八間、三の丸は東西五間、南北九間、台所は東西一八間、南北六間、馬屋は東西五間、南北二〇間。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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