日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡本大八」の意味・わかりやすい解説
岡本大八
おかもとだいはち
(?―1612)
徳川家康の側近本多上野介正純(ほんだこうずけのすけまさずみ)の近臣。肥前のキリシタン大名有馬晴信に対し偽って収賄し、そのことが露見して処刑された。1609年(慶長14)長崎港外において、ポルトガル船ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号が、有馬勢によって撃沈された。その後、本多正純の近臣大八は、パウロという教名のキリシタンであったが、有馬晴信から収賄し、晴信に、かつて有馬領であった肥前の一部がその事件の論功行賞として与えられると言明した。その真相はまもなく露見し、大八は慶長(けいちょう)17年5月6日、財産を没収のうえ火刑に処せられた。有馬晴信もまたこの件で死罪を仰せつけられた。この事件を契機に幕府のキリシタン弾圧、禁教政策が始まった。
[松田毅一 2018年3月19日]
『D・パチェコ著『九州キリシタン史研究』(1977・キリシタン文化研究会)』▽『片岡弥吉著『日本キリシタン殉教史』(1979・時事通信社/2010・智書房)』