岡田真澄(読み)オカダ マスミ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「岡田真澄」の解説

岡田 真澄
オカダ マスミ


職業
俳優

生年月日
昭和10年 9月22日

出生地
フランス・ニース

学歴
セント・ジョセフ学院中退

経歴
父は画家岡田毅、母はデンマーク人のインゲボルグで、フランスのニースで生まれる。4歳までフランスで育ち、昭和14年日本統治下の台湾に移住。戦後、ボードビリアンの泉和助に師事し、27年日劇ミュージックホールで初舞台を踏む。間もなく東宝演技研究所に入り、東宝ニューフェイス第6期生となる。29年日活に入社して、30年吉村廉監督「初恋カナリヤ娘」でデビュー。以後、「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」などに出演、ハーフらしい彫りの深い端整な顔立ちで、エキゾチックな二枚目スターとして活躍するが、32年川島雄三監督「幕末太陽伝」で青い目の番頭役を演じるなど、二枚目半の雰囲気も持ち合わせた。34年日活退社後は、東宝ミュージカルや劇団欅など、主に舞台へ活躍の場を移した。またテレビ番組やショーの司会者としても定評があり、53年第1回日本アカデミー賞の総司会者を担当、43年から務めたミス・インターナショナル世界大会の司会はライフワークとなった。フランスの二枚目俳優ジェラール・フィリップが映画「花咲ける騎士道」で演じた当たり役にちなみデビュー当初から“ファンファン”の愛称で呼ばれ、フジテレビのバラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」の人気コーナー「仮面ノリダー」では敵役のファンファン大佐を演じて人気を博した。晩年は旧ソ連の指導者スターリンとよく似た風貌となり、平成3年舞台「夢、クレムリンであなたと」でスターリン役を演じた。私生活でもプレイボーイとして有名で、昭和35〜36年パントマイムのヨネヤマ・ママコと2年間の期限付きの契約結婚をして話題となった。37年女優の瑳峨三智子と婚約するが、2年後に解消。47年女優の藤田みどりと結婚、三男の父となり、長男の岡田真善は俳優として活躍。平成7年日航の客室乗務員と再婚し、63歳で長女を授かった。兄は司会者のE.H.エリックで、タレントの岡田美里は姪にあたる。他の出演作に映画「街灯」「赤い波止場」「悲愁物語」「鍵」「さよならジュピター」「海と毒薬」「愛する」「白痴」、舞台「ラ・カージュ・オ・フォール」「リア王」「ハムレット」「ファニー・ガール」「アニー」、テレビ「若い季節」「マグマ大使」「プレイガール」「眠れる森」「トリック」「サルヂエ」など。

没年月日
平成18年 5月29日 (2006年)

家族
父=岡田 毅(画家),兄=E.H.エリック(司会者),長男=岡田 真善(俳優)

親族
姪=岡田 美里(タレント)

伝記
私たちが流した涙―記憶に残る最期東京わが街わが友 斉藤 弘子 著東京新聞編集局 編(発行元 ぶんか社東京新聞出版局 ’09’01発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田真澄」の解説

岡田真澄 おかだ-ますみ

1783-1838 江戸時代後期の国学者。
天明3年生まれ。岡田寒泉の子。加藤千蔭(ちかげ)に師事。和歌と書にすぐれた。かなの字源をあきらかにした「仮字考(かなこう)」をあらわした。天保(てんぽう)9年2月19日死去。56歳。字(あざな)は隣。通称は美毛比麿,徳一郎,源蔵。号は隣月楼。著作はほかに「本朝書話」など,歌集に「岡田真澄詠草」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岡田真澄」の解説

岡田 真澄 (おかだ ますみ)

生年月日:1935年9月22日
昭和時代;平成時代の俳優
2006年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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