朝日日本歴史人物事典 「岡田良一郎」の解説
岡田良一郎
生年:天保10.10.21(1839.11.26)
幕末明治期の報徳運動家,政治家。遠江国佐野郡倉真村(掛川市)の豪農岡田佐平治の長男。名は清行,字は廉夫,号淡山。安政1(1854)年14歳で二宮尊徳に入門,5年まで日光で尊徳とその子尊行に師事する。帰村後報徳運動に従事,明治8(1875)年,父の跡を継いで遠江国報徳社(44年に大日本報徳社と改称)社長となり,45年に辞任するまで36年間その地位にあって報徳運動を指導した。政治面では明治6~8年浜松県出仕ののち,浜松県民会・遠州州会議長として地租改正の結果を不満とする遠州人民を代表して交換米取り消し,地価修正運動を推進する。静岡県民会議長,佐野・城東郡長,静岡県会議員を経て,23年衆議院議員となり大成会に属したが,30年政治活動から引退。実業面では自身の建議や指導によって設立された産業・金融機関に関与。11年の資産金貸付所総括,二俣紡績会社設立事務取扱,掛川銀行頭取,資産銀行取締役を歴任,25年には日本で最初の信用組合である掛川信用組合理事長に就任した。また,冀北学舎,農学社を設立し,教育,農業知識普及にも努めた。<著作>『淡山論集』全4巻<参考文献>海野福寿『岡田良一郎年譜』,海野福寿・加藤隆編『殖産興業と報徳運動』
(海野福寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報