岡谷惣助(読み)オカヤ ソウスケ

20世紀日本人名事典 「岡谷惣助」の解説

岡谷 惣助(10代目)
オカヤ ソウスケ

大正・昭和期の実業家 岡谷鋼機社長。



生年
明治20(1887)年8月19日

没年
昭和40(1965)年4月14日

出生地
愛知県名古屋

旧姓(旧名)
岡谷 清次郎

学歴〔年〕
名古屋市立商〔明治39年〕卒

経歴
明治42年家業の金物業を継ぎ、「笹惣」の名を岡谷合資会社に改組改称。また岡谷保産合名(のちに岡谷鋼機と改称)を新設、両社社長となった。大正7年には岡谷洋鉄部を設け洋鉄の輸入に進出。14年10代目惣助を襲名した。昭和8〜11年名古屋商工会議所会頭、10年には日本商工会議所顧問も務めた。また三重琺瑯、東邦瓦斯、福寿火災保険、東海銀行各取締役を歴任した。20年家業を嗣子正男に譲り相談役に退いた。


岡谷 惣助(9代目)
オカヤ ソウスケ

明治・大正期の実業家



生年
嘉永4年2月7日(1851年)

没年
昭和2(1927)年2月

出生地
尾張国名古屋

経歴
明治元年金物商笹屋の家督継承藩命により伊藤、関戸両長者と並んで三人衆の為替店を開き国税、地方税を取り扱った。また農商会社、第十一国立銀行などの創立参与。4年地元有志と七宝会社を設立七宝焼の製造、販売に努め、オーストリア、アメリカ、フランス万国博に出品、輸出振興に尽力。また名古屋紡績所創設に参画、時計、燐寸などの製造に関係、21年には愛知銀行を創立、頭取となった。42年岡谷合資、岡谷保産合名を設立、さらに三重紡績重役など中京地方財界に重きをなした。この間39年には勅選貴族院議員に選ばれた。大正15年隠居し、家督を10代惣助に譲った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡谷惣助」の解説

岡谷惣助(1) おかや-そうすけ

1851-1927 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)4年2月7日生まれ。名古屋の豪商岡谷家9代をつぎ,家業の金物商のほかに為替店を開業。明治4年七宝会社を設立。七宝焼を輸出した。18年名古屋紡績を創立。愛知銀行初代頭取もつとめた。昭和2年2月8日死去。77歳。尾張(おわり)(愛知県)出身

岡谷惣助(2) おかや-そうすけ

1887-1965 大正-昭和時代の実業家。
明治20年8月19日生まれ。家業の金物商をつぎ,明治42年岡谷合資を設立。洋鉄を輸入するなど近代化につとめ,昭和18年岡谷鋼機と改称した。名古屋商工会議所会頭。昭和40年4月14日死去。77歳。愛知県出身。名古屋市立商業卒。幼名は清次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岡谷惣助」の解説

岡谷 惣助 (おかや そうすけ)

生年月日:1887年8月19日
大正時代;昭和時代の実業家
1965年没

岡谷 惣助 (おかや そうすけ)

生年月日:1851年2月7日
明治時代;大正時代の実業家
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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