岩代国(読み)イワシロノクニ

デジタル大辞泉 「岩代国」の意味・読み・例文・類語

いわしろ‐の‐くに〔いはしろ‐〕【岩代国】

岩代

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩代国」の意味・わかりやすい解説

岩代国
いわしろのくに

1868年(明治1)12月7日陸奥(むつ)国を磐城(いわき)、岩代、陸前陸中、陸奥(むつ)の5か国に分国したとき建置された国。岩代国は会津大沼、河沼、耶麻(やま)、岩瀬安積(あさか)、安達(あだち)、信夫(しのぶ)、刈田(かった)、伊具(いぐ)の10郡より成立した。しかし翌69年の『太政官(だじょうかん)日誌』第110号によると、同年12月8日、分国改正が行われ、磐城国伊達(だて)郡は岩代国に編入され、刈田、伊具の2郡は磐城国に割譲された。これによって岩代国は9郡、石高75万5703石9斗6升となった。76年8月21日福島、磐前(いわさき)、若松の3県が合併して福島県が成立し、岩代国は福島県に属した。78年会津郡を北会津郡と南会津郡の2郡に分割したので、岩代国は10郡となった。岩代国はもともと奈良時代に一時存在した石背(いわせ)国と領域はほぼ同じであり、また岩代の地名も、この石背を岩代と誤ったことによるといわれる。いずれにしても府県制度が敷かれると、国名は単なる歴史的地名にしかすぎなくなった。

誉田 宏]

『『福島県会沿革誌 上巻』(1889・福島県)』『『福島県市町村沿革』(1958・福島県)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩代国」の意味・わかりやすい解説

岩代国
いわしろのくに

磐代国とも書く。明治1 (1868) 年,陸奥国を分割して設置。会津,大沼,河沼,耶麻 (やま) ,岩瀬,安積 (あさか) ,安達,信夫 (しのぶ) ,刈田,伊具の 10郡をおいた。翌年磐城国より伊達郡を併合し,岩代より刈田,伊具2郡を磐城国にさいた。同4年二本松,若松2県となる。次いで二本松県は福島県となり,1876年,若松県も福島県に合併されて今日にいたっている。

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百科事典マイペディア 「岩代国」の意味・わかりやすい解説

岩代国【いわしろのくに】

旧国名。福島県西半。1868年陸奥(むつ)国を分割して設置。1871年当国域にあった白河・二本松・福島3県が合併して二本松県,さらに福島県となり,1876年に今の福島県に統合

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世界大百科事典(旧版)内の岩代国の言及

【陸奥国】より

… 1868年(明治1)戊辰戦争に際し諸藩は奥羽越列藩同盟を結んだが,会津戦争に敗れた。新政府は同年12月領地没収などの処分を行うとともに,陸奥国を磐城(いわき)国(現,福島県東部と宮城県南部),岩代(いわしろ)国(現,福島県中・西部),陸前国(現,宮城県中・北部と岩手県南東部),陸中国(現,岩手県の大部分と秋田県北東部),陸奥国(現,岩手県北西部と青森県)の5国に分割した。【渡辺 信夫】。…

※「岩代国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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