岩間正男(読み)イワマ マサオ

20世紀日本人名事典 「岩間正男」の解説

岩間 正男
イワマ マサオ

昭和期の政治家,歌人 元・参院議員;日本共産党名誉中央委員;元・日教組委員長。



生年
明治38(1905)年11月1日

没年
平成1(1989)年11月1日

出生地
宮城県村田町

学歴〔年〕
宮城師範学校〔昭和2年〕卒

主な受賞名〔年〕
多喜二百合子賞(第11回)〔昭和54年〕「風雪なか戦後30年」

経歴
大正14年から昭和22年まで宮城県、東京都で教員歴任。戦後、教員組合運動に入り、全日本教員組合協議会(全教協)の指導者となり、日教組の結成尽力。22年参院全国区に当選し共産党に入党。以来引退するまで議員生活27年、本会議や委員会で質問に立つこと1380回、参院共産党議員団長もつとめた。また、北原白秋短歌を学び、白秋没年前後「多磨」編集に従事歌集に「炎群」「母子像」「風雪のなか」「春塵孤影」、歌論集に「追憶の白秋・わが歌論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岩間正男」の解説

岩間 正男
イワマ マサオ


肩書
元・参院議員,日本共産党名誉中央委員,元・日教組委員長

生年月日
明治38年11月1日

出生地
宮城県村田町

学歴
宮城師範学校〔昭和2年〕卒

経歴
大正14年から昭和22年まで宮城県、東京都で教員を歴任。戦後、教員組合運動に入り、全日本教員組合協議会(全教協)の指導者となり、日教組の結成に尽力。22年参院全国区に当選し共産党に入党。以来引退するまで議員生活27年、本会議や委員会で質問に立つこと1380回、参院共産党議員団長もつとめた。また、北原白秋に短歌を学び、白秋没年前後「多磨」編集に従事。歌集に「炎群」「母子像」「風雪のなか」「春塵孤影」、歌論集に「追憶の白秋・わが歌論」などがある。

受賞
多喜二百合子賞(第11回)〔昭和54年〕「風雪のなか―戦後30年」

没年月日
平成1年11月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩間正男」の解説

岩間正男 いわま-まさお

1905-1989 昭和時代の政治家,歌人。
明治38年11月1日生まれ。生地の宮城県や東京で教員をつとめる。第二次大戦後,教員組合運動に参加,日教組の結成に力をつくす。昭和22年参議院議員(当選5回)。24年共産党に入党。北原白秋にまなび,「炎群(ほむら)」「母子像」などの歌集がある。平成元年11月1日死去。84歳。宮城師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岩間正男」の解説

岩間 正男 (いわま まさお)

生年月日:1905年11月1日
昭和時代の政治家;歌人。参議院議員
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android