朝日日本歴史人物事典 「岸本武太夫」の解説
岸本武太夫
生年:寛保2.7.7(1742.8.7)
江戸後期の代官。名は就美。美作国東南条郡押入村(岡山県津山市)の庄屋彦左衛門の5男。15歳のとき同国英田郡倉敷(美作町)代官の下役となる。手代,元締を経て勘定奉行手付となり,安永9(1780)年勘定所詰普請役として美濃,伊勢,武蔵,常陸,甲斐を巡視する。天明1(1781)年佐渡奉行支配広間役となり11年間在任。支配勘定を経て寛政5(1793)年代官となり,下野国都賀郡藤岡(栃木県藤岡町)陣屋に赴任。同国芳賀郡東郷村(栃木県真岡市)を出張陣屋として,下野,下総の幕領を管轄する。寛政11(1799)年東郷陣屋に移り,小児養育,荒地起返しのための手当支給,堕胎や子間引きの防止,越後国の農民の入百姓の実施など,荒廃地の復興に手腕を示した。支配地は文化6(1809)年ごろに下総,下野内で当分預所を含め6万7454石(『御料郷村多寡記』)。代官在任17年。墓は東京都杉並区松ノ木3丁目の華徳院。<参考文献>村上直『竹垣・岸本代官民政資料』,同『江戸幕府の代官』
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報