岸本調和(読み)きしもとちょうわ

精選版 日本国語大辞典 「岸本調和」の意味・読み・例文・類語

きしもと‐ちょうわ【岸本調和】

  1. 江戸前期の俳人別号、壺瓢軒・土斎。陸奥岩代の生まれ。江戸に住み、はじめ安静、のち未得の門。江戸の談林俳人として著名。また雑俳にも力を注いだ。活躍期は長く、元祿・宝永・正徳期に及んでいる。編著「富士石」「洗朱」「夕紅」など。寛永一五~正徳五年(一六三八‐一七一五

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朝日日本歴史人物事典 「岸本調和」の解説

岸本調和

没年:正徳5.10.17(1715.11.12)
生年:寛永15(1638)
江戸前期の俳人。別号に壺瓢軒,士斎。奥州浅香山あたりの出身で,寛文中期ごろ,江戸に出る。芝,日本橋一丁目,浅草山谷と転居俳諧は荻野安静門と伝えられるが,石田未得との関係が深く,また内藤風虎文学サロンの一員でもあった。延宝7(1679)年『富士石』刊行以後,延宝期には江戸を代表する宗匠となる。貞享・元禄期(1684~1704)には蕉門台頭により影が薄くなるが,加点俳諧に専心して『洗朱』『十の指』などの前句付集を刊行。元禄期の江戸における俳諧宗匠のあり方を示唆する,典型的な俳人。<参考文献>荻野清「岸本調和の一生」(『俳文学叢説』)

(楠元六男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸本調和」の解説

岸本調和 きしもと-ちょうわ

1638-1715 江戸時代前期-中期の俳人。
寛永15年生まれ。陸奥(むつ)岩代(いわしろ)(福島県)の人。江戸の石田未得(みとく)に師事。俳諧(はいかい)宗匠としてたち,大名旗本門人にもち勢力をほこったが,松尾芭蕉(ばしょう)らの台頭で前句付点者に転向した。正徳(しょうとく)5年10月17日死去。78歳。別号に土斎,壺瓢軒。俳諧撰集に「富士石」,前句付集に「洗朱(あらいしゅ)」。
【格言など】此(この)一句衆議判はなし木枯の(辞世)

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世界大百科事典(旧版)内の岸本調和の言及

【調和】より

…江戸前期の俳人。姓は岸本,名は友正。通称は猪右衛門。陸奥岩代の人という。30歳前後から江戸住。初め安静門,のち未得に従う。1668年(寛文8)以前すでに宗匠として立っており,76年(延宝4)ころ《石亀集》を編んだが未刊,79年に《富士石》を上梓,以後貞享初めまでに《金剛砂》《題林一句》《ひとつ星》などを刊行,大名,旗本らの多数を擁して,その勢力を誇示した。その後は活動の分野を〈前句付〉へひろげ,《洗朱(あらいしゆ)》《風月の童(わらわ)》《相槌》《十の指》など高点句集を刊行,不角らとともに有力な点者となった。…

※「岸本調和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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