( ①について ) ( 1 )江戸時代の初期の俳諧前句付が点取り遊びになって独立し、京都をはじめとし、大坂・江戸にも流行、元祿六、七年(一六九三‐九四)頃、笠付(かさづけ)を派生して諸国に及んだ。享保(一七一六‐三六)中期以後盛んとなり、三都及び都鄙において様々な形式のものが行なわれた。川柳をこれからはずしていう場合もあり、また、都々逸(どどいつ)などまでも含めていう場合もある。明治以降は二、三種のものを除いてほとんど行なわれなくなった。
( 2 )「続耳勝手」(一七六六)で、前句付や笠付に代表されるものを「雑俳」と称したのが古く、これ以降広く用いられた。
江戸時代に行われた通俗的俳諧(はいかい)。連想形式でつながっていく長編の本格的俳諧に対し、その練習形態として、2句間のみの付合(つけあい)である前句付(まえくづけ)俳諧が行われ、それから派生した一種の懸賞文芸が雑俳である。点者(てんじゃ)の出題に対して、会所(かいしょ)(仲介者)が広く句を募り、各地の取次(とりつぎ)所を通じて集められた投句(とうく)のなかから、点者が優秀作品を選び、その入選句を刷り物にして賞品とともに投句者に配るという興行形態(万句寄(まんくよせ)・万句合(まんくあわせ)などとよぶ場合もある)をとった。雑俳書として本屋が出版するものは、この勝句(かちく)刷り物をさらに編集したものである。点者は、初期においては正式な俳諧師がこれにあたったが、やがて専門点者の輩出をみ、雑俳は俳諧の第二文芸的性格を有するものとして独立する。出題には、種々の形式が行われたが、前句付(まえくづけ)型、笠付(かさづけ)型、非付合(つけあい)型の三つに大別できる。
[岩田秀行]
「前句付」は連歌(れんが)発生の基本的形態で、七・七の前句に対して、五・七・五を付けるもの(またはその逆の型)。長連歌(ちょうれんが)成立以降も、付合の基本形態として、つねに連歌・俳諧の底流に位置してきた。雑俳では、七・七の短句を出題して、五・七・五の長句を付けるのが一般的となり、さらに題がしだいに単純化されて、ついに川柳(せんりゅう)評(柄井(からい)川柳の評)においては、前句にかかわらぬ付句が詠まれることとなり、川柳風狂句(いわゆる川柳)の独詠句が生まれた。
(題) 障子に穴を明くるいたづら
(付句) 這(は)へば立て立てば走れと親心(不角(ふかく)評『千代見草(ちよみぐさ)』)
そのほか、前句付の変型として、「謎句付(なぞくづけ)」「一口前句(ひとくちまえく)」「物付(ものづけ)(物(もの)は付(づけ))」などがある。
[岩田秀行]
「笠付」は、前句付を簡略化したもので、5文字の題に、七・五の句を付けるもの。京都の点者雲鼓(うんこ)らが興行し始め、おもに上方(かみがた)で流行した。冠付(かむりづけ)ともいう。
(題) おちにけり
(付句) 井戸替までは待ちなさい(川柳評『万句合刷物(すりもの)』宝暦7年=1757)
そのほか、笠付の変型として、「小倉付(おぐらづけ)」「西国付(さいこくづけ)」「笠段々付(かさだんだんづけ)」「もじり」「場付(ばづけ)」「伊勢(いせ)笠付」「狂俳冠句(きょうはいかむりく)」「沓付(くつづけ)」などがある。
[岩田秀行]
付合性をもたぬもので、和歌や連歌などで行われた遊戯的手法を取り込んで、発句(ほっく)または平句(ひらく)1句を仕立てるもの。「折句(おりく)」(五・七・五または七・七の句頭に、題の3字または2字を詠み込むもの。初期には意味のある題であったが、やがて無意味な3字または2字の題となる)、「回文(かいぶん)」(上から読んでも下から読んでも同じ句をつくるもの)、「~尽(づくし)」(国尽(くにづくし)・魚尽(うおづくし)・鳥尽(とりづくし)など、1句中に物の名をできるだけたくさん詠み込むもの)、「切句(きりく)」(5文字の題によって発句を仕立てるもの)、「天地(てんち)」(句頭と句末とに、題の漢字2字の熟語を詠み込むもの)などが、この型に入る。なお、雑俳興行には「発句(ほっく)」も加えられていた。
こうした遊戯性の強い雑俳であるが、句の内容は、俳諧でも詠み残されたきわめて卑俗な人間生活万般にわたる事象を日常語を用いて表現しており、雑俳のこの方向性は、俳諧が元来もっていた性格を受けたもので、ある意味では、雑俳から川柳狂句への流れは、連歌・俳諧の本道ともいえるものである。
[岩田秀行]
『鈴木勝忠編『雑俳集成』第1期12冊(1984~87・東洋書院)』▽『宮田正信著『雑俳史の研究』(1972・赤尾照文堂)』▽『鈴木勝忠著『川柳と雑俳』(1979・千人社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
俳諧様式の一群の総称。1692年(元禄5)ごろから,俳諧から独立した前句付(まえくづけ)が,単独に万句合(まんくあわせ)興行として行われるようになり,以後,笠付(かさづけ)や折句(おりく)を加えて盛行,そこから種々の様式も考案され,最後には川柳風狂句を生み出した。この興行では月並み,点取,景品というような条件を伴い,純粋俳諧とはやや存在の意味や目的を異にするので,一括して古くは〈前句付〉と呼んでいたが,明和(1764-72)ごろの大坂で〈雑句・雑俳〉の語が人事句を主とするところから使用されはじめ,前句に代わって総称となった。ただし尾張では〈狂俳〉をもって総称とするなど,地域や時代によって種々の呼称が用いられていた。
執筆者:鈴木 勝忠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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本来の俳諧から派生した遊戯性の強い俳諧の総称。付句稽古から始まった前句付は1692年(元禄5)頃急速に広まって独立性を強め,翌年には冠付(笠付)を派生,さらに前句付から一字題など,冠付から小倉付・段々付・物は付・場付などさまざまな変種が生まれた。付句性をもたない折句・中入・もじり・廻文・地口などの形式もある。のちには前句付から付句が独立した大坂の無題,江戸の川柳といった形式も生まれた。興行の形態は,点者の出題を会所とよばれる専門の業者が仲介し,題・点料・賞品・日限などの必要事項を記した引札を配布して句を募り,さらに高点句を集めた会所本の出版も行った。賞品めあての弊害も生じたが,大衆文芸として浸透し,江戸時代を通じて広く流行した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…上方の淡々や江戸の沾徳(せんとく),沾洲らが点者として活躍し,さらに紀逸から江戸座へ受け継がれていった。本来は座興程度であるべきものが,高点ねらいに目的が移り,享楽的風俗的傾向を強め,都会趣味と合致し,《春秋関》(1726)のような高点付句集や,点者の好みを例示した《俳諧觽(けい)》(1768‐1831ころ)のような点取り手引書が続刊されて,俳諧そのものが雑俳化した。その点取りが発句に流入して月並発句合となるのである。…
…上の句が最初から付いているので,〈烏帽子付(えぼしづけ)〉〈笠付(かさづけ)〉〈冠付(かむりづけ)〉などと呼ばれた。笠付などは雑俳と総称されるが,3句1組の〈三笠付〉,連鎖風に続ける〈段々付〉など多様な型があらわれた。さらに簡単な方法として,最初の句の5文字を3組出題し,7字を解答としてつけ加える型が出現した。…
※「雑俳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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