日本歴史地名大系 「峅寺跡・中宮寺跡」の解説 峅寺跡・中宮寺跡あしくらじあと・ちゆうぐうじあと 富山県:中新川郡立山町芦峅寺村峅寺跡・中宮寺跡[現在地名]立山町芦峅寺現在の雄山(おやま)神社祈願殿の境内にあたり、一帯はうっそうとした杉林となっている。古くは芦峅寺・葦峅(あしくら)堂などとみえるが、戦国期以降はほぼ中宮寺と称された。芦峅寺権教坊本「立山略縁起」などによると、大宝元年(七〇一)立山を開いた慈興が(うば)堂・講堂・御前立の権現両宮・閻魔(えんま)堂・帝釈(たいしやく)堂・大門・仁王門・鐘楼堂や大権現大宮・刀尾(たちお)天神・若宮などを建立し、立山の中宮と定めたと伝えている。鎌倉時代に増補された「伊呂波字類抄」十巻本の巻四に「慈興聖人建立者、自天河北三所上芦峅寺、根本中宮、横安楽寺」とみえ、「拾芥抄」下巻にも「立山葦崎寺、越中国」とある。正平八年(一三五三)五月二五日の桃井直信書下状(芦峅寺文書、以下同文書は省略)に「葦峅寺」とみえ、直信は味方についた当寺僧の軍忠により寺家年貢を免除した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by