日本歴史地名大系 「峅寺村」の解説
峅寺村
あしくらじむら
常願寺川上流右岸段丘上に位置。立山道が通る。蘆峅・葦峅・足倉などとも記された。古くから常願寺川下流の
当地には堂を中心とする諸堂は戦乱のため荒廃することも多かったが、越中の武将らによって復興された。戦国時代末、越中を支配した佐々成政は立山を信仰すること厚く、芦峅寺・岩峅寺(立山両峅)の堂塔を復興して寺領を安堵し、衆徒に祈祷などの宗務を精励させた。その後、加賀・能登・越中を支配することとなった前田利家も天正一六年(一五八八)に
堂に一〇〇俵の地を寄進し、立山中宮寺衆徒社人中に対し寺務・諸堂の修理・勧行の励行を申渡している(同年一一月晦日「前田利家寄進状」成巽閣蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報