朝日日本歴史人物事典 「島村速雄」の解説
島村速雄
生年:安政5.9.20(1858.10.26)
明治大正期の海軍軍人。土佐(高知)藩士島村左五平の次男。海軍兵学寮に入り明治13(1880)年第7期生中首席で卒業。19年海軍大尉。21年英国に留学。24年帰国し海軍参謀部に出仕。常備艦隊参謀の時日清戦争が勃発,伊東祐亨連合艦隊司令長官を補佐した。黄海海戦では旗艦「松島」艦橋で戦傷を負う。北清事変の際,常備艦隊参謀長を務める。日露戦争では第1艦隊参謀長兼連合艦隊参謀長として司令長官東郷平八郎を補佐し,旅順のロシア艦を圧倒した。38年5月日本海海戦で第2艦隊司令長官を務め,総合的見地からバルチック艦隊は対馬海峡を通峡すると的確に見通し,連合艦隊は大勝する。大正3(1914)年海軍軍令部長に就任し,4年大将に進んだ。死去した日に元帥となる。<参考文献>中川繁丑『元帥島村速雄伝』,松下芳男『日本軍閥の興亡』
(影山好一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報