島村速雄(読み)シマムラ ハヤオ

20世紀日本人名事典 「島村速雄」の解説

島村 速雄
シマムラ ハヤオ

明治・大正期の海軍大将・元帥,男爵



生年
安政5年9月20日(1858年)

没年
大正12(1923)年1月8日

出生地
土佐国土佐郡本町(高知県)

別名
幼名=午吉

学歴〔年〕
海軍兵学寮(第7期)〔明治13年〕卒

経歴
明治16年海軍少尉に任官。19年大尉、21年英国に留学。24年帰国後、海軍参謀部出仕。日清戦争、北清事変、日露戦争に従軍する。第1艦隊参謀長、第2戦隊司令官、海兵校長などを歴任し、41年中将となる。海軍大学校長、第2艦隊司令長官を経て、44年英国王ジョージ5世の戴冠式には天皇名代の東伏見宮殿下・妃殿下に供奉し、鞍馬利根の両艦を率いて英国に回航。帰国後、佐世保鎮守府長官、海軍教育本部長を経て、大正3〜9年軍令部長をつとめる。その間、4年海軍大将、5年男爵、12年死去した日に元帥となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「島村速雄」の解説

島村速雄

没年:大正12.1.8(1923)
生年:安政5.9.20(1858.10.26)
明治大正期の海軍軍人。土佐(高知)藩士島村左五平の次男。海軍兵学寮に入り明治13(1880)年第7期生中首席で卒業。19年海軍大尉。21年英国に留学。24年帰国し海軍参謀部に出仕。常備艦隊参謀の時日清戦争が勃発,伊東祐亨連合艦隊司令長官を補佐した。黄海海戦では旗艦「松島」艦橋で戦傷を負う。北清事変の際,常備艦隊参謀長を務める。日露戦争では第1艦隊参謀長兼連合艦隊参謀長として司令長官東郷平八郎を補佐し,旅順のロシア艦を圧倒した。38年5月日本海海戦で第2艦隊司令長官を務め,総合的見地からバルチック艦隊は対馬海峡を通峡すると的確に見通し,連合艦隊は大勝する。大正3(1914)年海軍軍令部長に就任し,4年大将に進んだ。死去した日に元帥となる。<参考文献>中川繁丑『元帥島村速雄伝』,松下芳男『日本軍閥の興亡』

(影山好一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島村速雄」の解説

島村速雄 しまむら-はやお

1858-1923 明治-大正時代の軍人。
安政5年9月20日生まれ。日清(にっしん)戦争には常備艦隊参謀として出征。日露戦争ではバルチック艦隊との日本海海戦で第二艦隊第二戦隊司令官として東郷平八郎を補佐した。のち海軍大学校長,軍令部長などを歴任。大正4年大将。大正12年1月8日死去,同日元帥となる。66歳。土佐(高知県)出身。海軍兵学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「島村速雄」の解説

島村 速雄 (しまむら はやお)

生年月日:1858年9月20日
明治時代;大正時代の海軍軍人。男爵;元帥
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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