川船奉行(読み)カワブネブギョウ

デジタル大辞泉 「川船奉行」の意味・読み・例文・類語

かわぶね‐ぶぎょう〔かはぶねブギヤウ〕【川船奉行】

江戸幕府職名川船行政に当たった職で、享保5年(1720)廃止、のち川船改役に引き継がれた。

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精選版 日本国語大辞典 「川船奉行」の意味・読み・例文・類語

かわぶね‐ぶぎょうかはぶねブギャウ【川船奉行】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の職名の一つ利根川中心とする関東諸河川に就航する川船を支配するため寛永一〇年(一六三三勘定奉行の下に設置され、川船の極印改めや年貢役銀徴収にあたった。享保五年(一七二〇)廃止され、新しい川船支配機構に改められた。〔財政経済史料‐四・交通水運造船・貞享四年(1687)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「川船奉行」の意味・わかりやすい解説

川船奉行 (かわぶねぶぎょう)

江戸幕府が川船を統制するために設けた機関。勘定奉行の下にあり,奉行には小禄旗本が任命され,現在知られる最初の就任は1633年(寛永10)の土屋利清である。43年より2人役,78年(延宝6)より3人役となった。仕事は川船に極印を打ち年貢・役銀を徴収することで,はじめは軍事的要請で川船把握を目的とし,その後は年貢・役銀の徴収が主となる。対象とする川船も,最初は江戸に乗り入れる川荷船であったが,海船そして在方にある川下小船・耕作船にまで拡大され,下役人が村々を巡回して無登録船を摘発した。1720年(享保5)享保改革一環としてこの職は廃止となり,川船統制は大工棟梁鶴延任に一任された。鶴氏は川船改役として川船奉行の仕事を引き継ぎ,以後鶴氏が代々川船改役に就任,一時期を除き鶴氏の世襲のようになったが,幕末には他の旗本が就任,1868年(明治1)廃止された。
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