巣鴨町(読み)すがもまち

日本歴史地名大系 「巣鴨町」の解説

巣鴨町
すがもまち

[現在地名]豊島区巣鴨一―四丁目、文京区千石せんごく四丁目など

巣鴨村のうち、南東北西方に走る中山道沿いに開けた町場で、南東方から順に下組・下中組・上中組・上組の四組に分れていた。うち下組・下中組は中山道の南西側のみに家並が連なる片側町、上中組・上組は両側町であった。片側町の下組・下中組の道の向い側には武家方拝領屋敷が並び、また下中組の中ほどに真性しんしよう寺の境内と同寺の門前町屋(巣鴨真性寺門前)が割込んでいた。下組の南東に続く中山道沿いの一帯(現在は文京区域、かつての巣鴨村東端部にあたる)は、一七世紀後半過ぎ頃から順次江戸の市街に組込まれ、武家屋敷や町屋に割られた。この一画の北西に連なる当地も宝永(一七〇四―一一)末年頃から享保期(一七一六―三六)には徐々に百姓町屋が形成されたと思われ(豊島区史)、元文二年(一七三七)町屋起立を公許され、延享二年(一七四五)には町並地となった(「御府内備考」など)


巣鴨
すがもつじまち

[現在地名]文京区大塚おおつか四―五丁目など

小石川大塚上こいしかわおおつかかみ町の北に続く町屋。大塚方面から巣鴨村・池袋村(現豊島区)方面に抜ける南東―北西の通り(現春日通)に面し、当町で、この通りから北上して巣鴨村、滝野川たきのがわ(現北区)へ抜ける通り(現南大塚通)が分岐する。町場は西から北にかけては小石川新田や巣鴨村の耕地。もと芝増上寺領巣鴨村のうちであったが、元文二年(一七三七)に町屋御免となり、延享二年(一七四五)に町奉行支配となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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