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巴里の屋根の下 ぱりのやねのした Sous les Toits de Paris

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

巴里の屋根の下
ぱりのやねのした
Sous les Toits de Paris

フランス映画。トビス 1930年制作。監督,脚本ルネ・クレール。主演アルベール・プレジャンポーラ・イルリ,エドモンド・グレビルら。トーキー映画初期の代表作の一つで,主題歌も大いに流行した。

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百科事典マイペディアの解説

巴里の屋根の下【パリのやねのした】

フランス映画。1930年作。監督R.クレール,主演アルベール・プレジャン。街の演歌師が親友と恋を争うが,女は友を愛していることを知ってあきらめる。映像と音の関係を意識的に扱ったトーキー最初の芸術映画で,シャンソンの主題歌も有名。

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世界大百科事典 第2版の解説

パリのやねのした【巴里の屋根の下 Sous les toits de Paris】

1930年製作のフランス映画チャップリンからもっとも多く学んだ映画作家であることを自他共に認め,〈音〉によって映画芸術が通俗化することを恐れて安易な〈トーキー化〉に反対したルネ・クレール監督のトーキー第1作。ドイツのトビス社がフランスに進出してつくった新しい撮影所で,ロシア生れの美術家ラザール・メールソンLazare Meersonが造形したパリの全景を巧みに仕組んだセットで撮影され,カメラを自在に移動させてパリの下町の庶民生活,その風俗と雰囲気を新鮮に描き出すことに成功した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

巴里の屋根の下
ぱりのやねのした
Sous les toits de Paris

フランス・ドイツ合作映画。1930年作品。ドイツ系のフィルム・ソノール・トービス社と契約を結んだルネ・クレール監督のトーキー第1回作品で、フランスの初期トーキーの代表作となった。物語は街角の歌手が誤って刑務所に入れられてしまい、出所すると恋人は友人に奪われていたというもので、アルベール・プレジャンAlbert Prjean(1894―1979)が主演し、パリの下町の庶民生活を愛情込めて描いた。ルネ・クレールは実際の物音や台詞(せりふ)を録音するよりも、登場人物たちの大きな身振りを歌声や音楽で見せることに重点を置き、サイレント的な美学を貫いた。パリではあまりあたらなかったが、ベルリン、ニューヨーク、東京(1931年公開で、キネマ旬報ベストテン第2位)など世界各地でヒットした。実際はロシア出身の美術監督ラザール・メールソンLazare Meerson(1897―1938)による精巧なパリのセットが使われたが、外国ではこの映画は長い間にわたってパリのイメージをつくりあげた。[古賀 太]

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世界大百科事典内の巴里の屋根の下の言及

【映画美術】より

…〈プロダクション・デザイナー〉の呼称はメンジーズに始まる。これに対して,フランドル派の絵画をスクリーンに再現して,歴史映画におけるリアリズムの基礎を築いたとされる《女だけの都》(1935)のジャック・フェデル監督や,パリの下町の風景をそっくりオープンセットに再現して,〈巴里〉のイメージを決定的にした《巴里の屋根の下》(1930),《巴里祭》(1932)のルネ・クレール監督に協力して,複雑なカメラワークや微妙な照明を画面に生かしうる装置を設計したメールソンLazare Meerson(1900‐38)は後者を代表し,美術監督の地位の向上に貢献した。メールソンの弟子のトローネルAlexandre Trauner(1906‐93)の仕事は《天井桟敷の人々》(1944)を代表とするマルセル・カルネ=ジャック・プレベール作品に結実し,〈詩的レアリスム〉の名のもとにフランス映画の黄金時代を築くとともに,大戦後はハリウッドにも招かれ,ビリー・ワイルダー監督作品(《アパートの鍵貸します》(1960),パリの中央市場を再現した《あなただけ今晩は》(1963),等々)などを介して,アメリカ映画における美術監督の概念を変容せしめた。…

【トーキー映画】より

…28年,エイゼンシテイン,プドフキン,グリゴリー・アレクサンドロフ(1903‐83)の3人の連名で,〈トーキーのモンタージュ論〉ともいうべき〈トーキーに関する宣言〉が発表された。そして,それを具体化したソビエト最初の長編トーキーであるニコライ・エック(1902‐59)監督の《人生案内》(1931)がつくられ,フランスではルネ・クレールが《巴里の屋根の下》(1931)で新しいトーキー表現を開拓し,アメリカではルーベン・マムーリアンが《市街》(1931)で音を映画的に処理し,ドイツではG.W.パプストが《三文オペラ》(1931)で新しい音楽映画の道を開いた。 その後,トーキーの技術的進歩・改善がつづき,第2次大戦後の磁気録音テープ,ワイド・スクリーンの副産物としての立体音響の登場など,トーキー映画は数々の発明とともに問題を生んで,映画史を築いていくことになる。…

【フランス映画】より

…アンリ・ルーセル監督)がつくられる。そして仏独英3ヵ国語版が製作されたドライヤーのトーキー第1作《吸血鬼》(1931)は興行的に失敗するものの,〈音の対位法〉を探求したクレールのトーキー第1作《巴里の屋根の下》(1930)はフランスの〈トーキー映画の宣言〉となり,また,クレジットタイトルを画面に文字で出す代わりにすべて音声化,すなわち朗読してしまうというトーキーならではの試みを実現したレルビエ監督《黄色の部屋》(1930)などの成功をへて,フランス映画はトーキー時代に入る。 この時期に注目されるのは,マルセル・パニョルとサッシャ・ギトリー(ギトリー父子)という2人の演劇人の活躍で,とくにパニョルは,自作の戯曲がまずアレクサンダー・コルダ監督によって(《マリウス》1931),次いでルイ・ガスニエ監督によって(《トパーズ》1932),そしてマルク・アレグレ監督によって(《ファニー》1932)映画化されたのに刺激され,33年には映画雑誌《レ・カイエ・デュ・フィルム》を創刊し,サイレント映画がパントマイムの具象化であり完成であったのに対して〈トーキーは演劇の具象化であり再創造である〉という独特のトーキー映画論を展開,自分の映画会社を創立し,マルセイユに撮影所を建設して,みずから製作・監督に乗り出し,《アンジェール》(1934),《セザール》(1936),《二番芽》(1937),《ル・シュプンツ》《パン屋の女房》(ともに1938)等々を映画化,レーミュ,フェルナンデルといった南フランスのマルセイユなまりの名優に成功をもたらした。…

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