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巻返し政策 まきかえしせいさくrollback policy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

巻返し政策
まきかえしせいさく
rollback policy

1953年に打出されたアメリカの D.アイゼンハワー政権の対ソ政策。封じ込め政策 (→コンテインメント ) を手ぬるいとして,J.ダレスが中心となって提唱し,アイゼンハワーが 53年1月の大統領就任演説でこの政策の採用を宣言。内容は社会主義諸国に積極的に働きかけて自由諸国への参加をはかり,社会主義圏の支配体制の崩壊と東西境界線の東方への後退を目指す強硬政策であった。具体的には蒋介石への援助,ヤルタ協定の一方的破棄,台湾水域における武力挑発行動にその一端が示されている。また社会主義勢力を抑圧するための軍事同盟も着々と整備され,ヨーロッパでは 54年 10月パリ協定によって西ドイツが北大西洋条約機構 NATOに参加。中東では 55年2月中東条約機構 CENTOが,東南アジアでは 54年9月東南アジア条約機構 SEATOがそれぞれ結成された。しかしソ連が乾式水爆の完成などによってその軍事力を強化するとともに,自由主義諸国による社会主義圏への攪乱工作に敏速に対応したため,成果を収めるにはいたらず,冷戦は激化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

巻返し政策
まきかえしせいさく
roll-back policy

1953年1月27日、アメリカのダレス国務長官が提唱した対ソ強硬外交の一つ。ダレスはこの年発足した共和党のアイゼンハワー政府の国務長官に就任したが、かねてから民主党政権の「封じ込め政策」を手ぬるいと批判していた。つまり、武力以外のあらゆる手段を駆使して当時のソ連に攻勢をかけ、冷戦の主導権をソ連から奪い返すべきだと主張し、このため「巻返し政策」とよばれた。ダレスの対ソ強硬方針はさらにエスカレートし「大量報復政策」「瀬戸際政策」へと発展した。しかし現実には事態は平静に推移し、朝鮮戦争およびインドシナ戦争の休戦の実現、中立国オーストリアの成立、ジュネーブ四大国首脳会談の開催など、国際政治はダレスの言動とは裏腹の方向に進展した。[藤村瞬一]

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