20世紀日本人名事典 「市原豊太」の解説 市原 豊太イチハラ トヨタ 昭和期のエッセイスト 独協大学名誉教授;元・東京大学教授。 生年明治35(1902)年6月22日 没年平成2(1990)年8月14日 出生地東京 別名筆名=吉備 真庭(キビ マニワ,キビノ マニワ) 学歴〔年〕東京帝国大学文学部仏文学科〔大正15年〕卒 経歴大正15年浦和高(旧制)教授、昭和17年一高教授を経て、24年東京大学教授、37年定年退官。38年青山学院大学教授、44年独協大学学長を歴任。国語問題協議会副会長も務めた。著書に「人生に関する58章」「思考・意欲・愛情」「内的風景派」、訳書にセナンクール「オーベルマン」、バルザック「捨てられた女」、「ラ・フォンテーヌ寓話」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「市原豊太」の意味・わかりやすい解説 市原豊太いちはらとよた(1902―1990) フランス文学者。エッセイスト。東京に生まれる。東京帝国大学仏文科卒業。長く旧制浦和高等学校教授を務め、のち東大教養学部教授、独協大学教授を歴任。フランス・モラリストの文学に関心をもつ。訳書にフロマンタン『ドミニック』、セナンクール『オーベルマン』、ジャム『三人の乙女』、ラ・フォンテーヌ『寓話(ぐうわ)』などがあり、著書に『生き甲斐(がい)について』(1951)、『内的風景派』(1972)などがある。また、国語問題にも造詣(ぞうけい)深く、国語問題協議会副会長として活動した。[窪田般彌] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市原豊太」の解説 市原豊太 いちはら-とよた 1902-1990 昭和時代のフランス文学者,エッセイスト。明治35年6月22日生まれ。旧制浦和高,一高の教授をへて,昭和24年東大教授。43年独協大教授。平成2年8月14日死去。88歳。東京出身。東京帝大卒。著作はエッセイ集に「内的風景派」,訳書にラ=フォンテーヌ「寓話」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「市原豊太」の解説 市原 豊太 (いちはら とよた) 生年月日:1902年6月22日昭和時代のエッセイスト。獨協大学学長;東京大学教授1990年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by